一人が好き。おかしいのでしょうか。  
私は人といると、どうにも精神的に消耗しがちです。誰かと過ごす時間が嫌いなわけではありません。しかし、長く続くと、どこかで静かな場所に退きたくなるのです。そうした自分のパターンに、長いあいだ違和感を抱いてきました。

世の中は「人とつながること」を前提に設計されています。友人が多いこと、社交的であること、それらは「いいこと」として語られがちです。だからこそ、一人でいることを好む自分は、どこか欠けているのではないか。そんな疑問が頭を離れませんでした。

あるとき、性格診断テストを受けたことがあります。結果は「社交性が低い」。就職活動の面接でも指摘されました。(というか、その会社の適性検査が性格診断テストでした。)

面接官はおそらく、「協調性に問題があるのではないか」という懸念を持ったのでしょう。社会の多くの場面では、他者と円滑に関係を築く力が求められるからです。

ただ、私はその評価に対して、少し違う角度から説明しました。私は多くの人と相対するとき、たとえば5人いれば、それを「5人」という一塊ではなく、「1+1+1+1+1」として認識するようにしています。一度に5人を相手にするのではなく、あくまで一人ずつに向き合う。そういう人間なんです私は。

我ながらよう言うわいと思いました。面接の場はもう無我夢中で何を言ったか後でほとんど思い出せません。このときもほとんど覚えていません。

それはさておき、上記の考え方は、社交的になるための訓練というよりも、「自分の特性に合わせて環境の見え方を変える」試みです。無理に変わろうとするのではなく、認知の仕方を調整する。

人間関係における疲労の多くは、「理想の自分」と「現実の自分」の乖離から生まれます。であれば、その理想のほうを少し疑ってみる必要があるのかもしれません。

ここで思い出したのが、『嫌われる勇気』という一冊です。  
この本は、他者の目を気にせず、自分の人生を自分で選択するという考え方を提示しています。

一人でいることを選ぶのは、逃避ではなく選択である。そう捉え直したとき、心は少し静かになります。

一人が好きであることは、本当に欠点なのでしょうか。

社会の多くは「平均」によって形づくられています。しかし、人間の特性は本来ばらつくものです。外向的な人もいれば、内向的な人もいる。それぞれに適した生き方があるはずです。(そもそも「平均的な人」というのは統計上にしか存在しないフィクションみたいなもんですね。)

一人の時間を好む人は、その分だけ思考の深さや集中力を持つ傾向があります。読書や音楽、あるいは静かな散策といった活動に価値を見出す人も多いでしょう。

それは単なる「消極性」ではなく、一つの適性です。  
むしろ、現代のように情報が過剰な環境においては、「一人でいられる力」は重要性を増しているようにも思えます。

一人が好きであることは、おかしなことではありません。  
それは性格の偏りではなく、環境との相性の問題であり、同時に一つの資質でもあります。

無理に人に合わせようとすると、いずれどこかで歪みが生じます。それよりも、自分の特性を理解し、その上でどう生きるかを選ぶほうが、はるかに自然です。

もし、自分の在り方に迷いを感じたときは、一度立ち止まって考えてみるのも悪くありません。外側の基準ではなく、内側の静けさに従うという選択があるのですから。