ベートーヴェンが書いた唯一のオペラが『フィデリオ』。ことあるごとに上演されています。たしか第二次世界大戦後にウィーン国立歌劇場の公演が再開したときの最初の演目もこの作品だったはず・・・。大ざっぱに言って勧善懲悪の物語ですが、皮肉なことにナチス政権下で最も頻発に上演されていたようです。

となるときっと名作なんだろうと思っても仕方ありません。でも正直に言うと、なんだかあまり優れた作品だとは思えないのです。まず舞台が刑務所。最初から最後まで刑務所。ずっと同じ殺風景な刑務所が続くと見ている方はビジュアル的に退屈を感じてしまっても不思議ではありません。なにしろ囚人と看守しかいないので、バレエダンサーが踊ったり、舞踏会の場面があったり、パーティーが開かれたりということはありません。刑務所だもの。

そして致命的なことに、彼の交響曲とか協奏曲ほどに「歌」が魅力的ではないのです。ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」とか、モーツァルトの「夜の女王の復讐のアリア」のような「この1曲!」がどこにも出てきません。一番最後の歓びの合唱も、『第九』と比べると明らかに軽いです。

察するに、ベートーヴェンは人間の声の特質をあまり考慮しておらず、オペラを作るときも器楽的な発想がベースにあったのだろうと思います。つまり彼にしてもやはり向き不向きがあったということですね。

もっとも、だからといって『フィデリオ』が駄作だと言いたいわけではありません。むしろこの作品には、一般的なオペラとは少し違った種類の魅力があるのだと思います。

たとえば、オペラというジャンルは伝統的に「恋愛」と「人間関係」を中心に回っています。嫉妬や裏切り、三角関係、あるいは貴族社会の華やかな舞台。そういう要素が観客を惹きつけてきました。ところが『フィデリオ』の中心にあるのは、そうした華やかな人間模様ではなく、「自由」と「正義」というかなり抽象的なテーマです。

主人公レオノーレは、夫フロレスタンを救うために男装して牢獄に入り込みます。しかもそれは恋愛の駆け引きではなく、政治的な迫害から夫を救い出すための行動です。こうしてみると、この作品は恋愛劇というよりも、むしろ思想劇に近い性格を持っているのかもしれません。

考えてみれば、ベートーヴェンという作曲家はもともと「理念」を音楽で語ろうとした人でした。交響曲でも、単なる娯楽音楽ではなく、人間の尊厳や自由といったテーマを強く打ち出しています。『第九』の「歓喜に寄す」がその典型でしょう。そういう作曲家がオペラを書けば、当然ながらドラマよりも理念の方が前面に出てくる。『フィデリオ』がどこか説教くさく感じられるのも、そのためなのだと思います。

そして第二次世界大戦後のウィーンで、この作品が歌劇場再開の演目として選ばれた理由も、おそらくそこにあるのでしょう。政治的迫害に打ち勝ち、最後に自由が回復する物語は、戦争を経験した人々にとって象徴的な意味を持っていたはずです。

つまり『フィデリオ』は、華やかな娯楽オペラというより、「自由を讃える音楽劇」として理解した方がしっくりくる作品なのかもしれません。