あるとき性格診断テストというものを受けてみました。「社交性が低い」という結果が出ました。なんだか私の人柄が否定されたみたいで良い気はしませんでした。なおかつ第三者からその部分だけクローズアップして言われたのでなおさら嫌な気分になりました。ただ「友だちいない研究所」なんていうブログを運営しているくらいですから、私の社交性がないのはわかります。

「社交性が低い」。その結果として、「こいつは会社で孤立するんだろうな」「人とうまくやっていける能力が低いんだろうな」「少なくともチームリーダーは任せられないな」。そう思われたのでしょう。でも全部当たりだと思います。私だって好きで働いているわけではありませんし、好きでもない人と一緒にいたくありませんし、チームの一員にもなりたくてなっているわけではないのです・・・。

とはいえ、少し時間が経ってから考えてみると、「社交性が低い」という評価は必ずしも悪いことばかりではないのではないか、と思うようになりました。世の中では社交性が高いことが良いことだとされています。確かに、人とすぐ打ち解けられる人、誰とでも気軽に会話できる人、場を盛り上げられる人は、組織の中で重宝されるでしょう。そういう人がいると職場の空気も明るくなりますし、人間関係の潤滑油にもなります。

しかし一方で、社交性が高いことには副作用もあります。人との関係を広げすぎてしまい、本来やるべきことに集中できなくなることもあるでしょう。飲み会や雑談に時間を取られてしまい、気がつけば一日が終わっているということもあるかもしれません。人間関係が増えるということは、それだけ人間関係のトラブルに巻き込まれる確率も上がるということでもあります。

その点、社交性が低い人間は、そもそも人付き合いが少ないので、余計なトラブルに巻き込まれることも少ないのです。人の評価や噂話に振り回されることもあまりありません。職場の政治や派閥争いにも距離を置くことができます。これは地味ですが、精神的にはかなり楽です。

さらに言えば、一人でいることが苦にならないというのは、実はかなり強い能力だと思います。世の中には「誰かと一緒にいないと不安」という人も少なくありません。しかし一人でいることに耐えられる人は、自分の時間を自分のために使うことができます。読書をしたり、考え事をしたり、何かを調べたり。そういう静かな時間の中でしか生まれない思考というものもあります。

歴史を振り返ってみても、何かを深く考え続けた人というのは、必ずしも社交的だったわけではありません。むしろ孤独な時間の中で思索を深めた人の方が多いのではないでしょうか。もちろん、私がそんな立派な人物だと言うつもりはありません。ただ、社交性が低いという性質は、見方を変えれば「一人で思考する力」とも言えるのではないかと思うのです。

結局のところ、性格というものは良い悪いで単純に評価できるものではありません。社交性が高ければ高いなりの長所と短所があり、社交性が低ければ低いなりの長所と短所があります。問題は、その性質をどう使うかということなのだと思います。

もし「社交性が低い」と言われて落ち込んでいる人がいたら、少しだけこう考えてみてもいいかもしれません。人と群れるのが得意でない代わりに、一人で考える時間を持てる人なのだ、と。少なくとも私は、そうやって自分を納得させながら生きています。社交性が低いという事実は変えられませんが、その意味づけくらいは、自分で決めてもいいはずです。