私は三井住友銀行に口座を持っています。別に三井住友銀行でなくても良かったのですが、あるときゆうちょ銀行以外の銀行口座を作ることになり、とりあえず職場の昼休みに行ける範囲内の銀行がここしかなかったのでした。
しかしその後東京に引っ越してきて「うっ」となりました。メガバンクではあるものの、なんだか自分の行動ルートの中にいまいちATMが存在しないのです。今住んでいる地域も、駅前にゆうちょ銀行、三菱UFJ銀行、みずほ銀行のATMはしっかり存在するのに、三井住友銀行だけありません。自転車で1kmくらい走ったところにあるのが一番近いのです。不便な。
というわけで今日もそのATMでお金を下ろしました。しかしあることに気づきました。ATMは2台設置されているのですが、壁のくぼみは5つあります。つまりもともと5台設置されていて、3台撤去されて2台しか残ってませんということなのです。必然的に行列が発生しがち。なんとも不便な。
ATMの前で少し並びながら、私はぼんやりと考えていました。なぜこんなことになっているのだろう、と。昔は銀行といえば、街のあちこちに支店があり、ATMも潤沢に設置されていました。ところが最近は、支店の統廃合やATMの削減が進み、利用者の側が「少し遠くまで行く」「少し並ぶ」といった不便を受け入れることが当たり前になりつつあります。
銀行側の理屈は、もちろん理解できます。キャッシュレス化が進み、現金の利用は減っている。店舗やATMを維持するには人件費も設備費もかかる。だから数を減らす。合理的といえば合理的です。
しかし、その合理化のしわ寄せを受けるのは結局のところ利用者です。ATMの台数が減れば行列ができる。近所の支店が閉鎖されれば遠くまで行かなければならない。しかも、そのうえでATM手数料まで取られるとなると、なんとも釈然としない気持ちになります。
とくにATMの手数料です。条件によっては330円かかることがあります。たった1分、カードを入れて暗証番号を押し、現金を受け取るだけの作業で330円。冷静に考えると、なかなか強烈な価格設定です。
もちろん、ATMの設置や維持にはコストがかかることは分かります。機械の購入費、場所代、警備費、システム管理費。そうしたものを積み上げれば、無料で運営できるものではないのでしょう。しかし、利用者の感覚からすると「機械が自動でやってくれる作業」に対して330円というのは、やはり高く感じてしまいます。
しかも、ATM自体は減っているのです。台数が減り、待ち時間は増え、利便性は下がる。それでも手数料はしっかり取られる。こうなると、なんだか「サービスが縮小しているのに料金はそのまま」という構図にも見えてしまいます。
銀行の世界では、店舗削減やデジタル化は避けられない流れなのでしょう。スマートフォンで振込ができ、アプリで残高確認ができる時代です。銀行が「リアルな拠点」を減らしていくのは、ある意味で自然なことなのかもしれません。
ただ、今日のようにATMの前に並びながら思うのです。合理化という言葉は、企業側から見れば美しい。しかし利用者の側からすると、それはしばしば「少しずつ不便になる」という形で現れるのだな、と。
ATMの前の列がじわじわと進みながら、そんなことを考えていました。
銀行側の理屈は、もちろん理解できます。キャッシュレス化が進み、現金の利用は減っている。店舗やATMを維持するには人件費も設備費もかかる。だから数を減らす。合理的といえば合理的です。
しかし、その合理化のしわ寄せを受けるのは結局のところ利用者です。ATMの台数が減れば行列ができる。近所の支店が閉鎖されれば遠くまで行かなければならない。しかも、そのうえでATM手数料まで取られるとなると、なんとも釈然としない気持ちになります。
とくにATMの手数料です。条件によっては330円かかることがあります。たった1分、カードを入れて暗証番号を押し、現金を受け取るだけの作業で330円。冷静に考えると、なかなか強烈な価格設定です。
もちろん、ATMの設置や維持にはコストがかかることは分かります。機械の購入費、場所代、警備費、システム管理費。そうしたものを積み上げれば、無料で運営できるものではないのでしょう。しかし、利用者の感覚からすると「機械が自動でやってくれる作業」に対して330円というのは、やはり高く感じてしまいます。
しかも、ATM自体は減っているのです。台数が減り、待ち時間は増え、利便性は下がる。それでも手数料はしっかり取られる。こうなると、なんだか「サービスが縮小しているのに料金はそのまま」という構図にも見えてしまいます。
銀行の世界では、店舗削減やデジタル化は避けられない流れなのでしょう。スマートフォンで振込ができ、アプリで残高確認ができる時代です。銀行が「リアルな拠点」を減らしていくのは、ある意味で自然なことなのかもしれません。
ただ、今日のようにATMの前に並びながら思うのです。合理化という言葉は、企業側から見れば美しい。しかし利用者の側からすると、それはしばしば「少しずつ不便になる」という形で現れるのだな、と。
ATMの前の列がじわじわと進みながら、そんなことを考えていました。
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