オーケストラの演奏がつまらなくなった。個性がなくなった。昔はウィーン・フィルやベルリン・フィル、パリ管弦楽団、ミラノ・スカラ座管弦楽団などは聴けばどこのオーケストラかなんとなくわかった。だけど優等生みたいな演奏が増えてしまった・・・、というのは1980年代に発行された本に書いてありました。今から40年以上も昔の本にもそう書いてあるくらいですから、2020年代の演奏はきっともっとそうなってしまったのでしょう。

その本を書いたのはとある音楽評論家でした。しかしNHK交響楽団の奏者たちもそのようにお話していることを知り、「ついにここまで来たか・・・」という悲しい気持ちになりました。そのお話は、鶴我裕子さん(NHK交響楽団の元ヴァイオリン奏者)の著書『バイオリニストは弾いてない』に団員たちとの対話形式で書かれていました。

金田 ところで、去年のパーヴォの『第九』、記録的に速かったらしいね。
木全 速いのはいいんだけど、パーヴォがどうのというんじゃないけど、昔からいる人間からみると、最近のベートーヴェンやリヒャルト・シュトラウスって、僕らが思っているのとちょっと違うから・・・。
鶴我 正統派じゃないんだ。浅いんだ。食い足りないのね。
木全 全然ためがなくて、ツルツルいっちゃって、良く言えばスポーティなんだけど、僕らが思っているドイツ音楽というのとはちょっと違う。
鶴我 昔はしんねりやってたね。私はあのやり方好きだったな。本物やってる気がしたもん。早く生まれといてよかった。
木全 欲言えば、全部水準が高くていいんだけれど、悪く言うと、個性がなくなってきてつまらない。
鶴我 外国もそうなの? 世界中ツルツル>
木全 みんなそうでしょ。それこそロシアのオケだろうが、フランスのオケでもドイツのオケでも・・・。
鶴我 今のロシアのオケなんて全然面白くない、昔は面白かったのに。またあれ聴きたい。

注:金田、木全とありますのはどちらもNHK交響楽団奏者です。
そうか、とうとう当事者からもそういう声が出るようになってしまったか、という気がしました。この本が発売されたのは2016年なので、その時点でそう言っていたということはそれよりずっと前から感じていたことだったと想像されます。

原因はなにか、というとレコードやCDの普及によって簡単に誰もがお手本にアクセスできるようになったことのようです。そうすると無意識のうちに弾くときにお手本のコピーを作ってしまうようなのです。

らさに言えば、指揮者のあり方も大きく変わりました。かつては一人の指揮者が長く同じ楽団を率い、その楽団の響きを時間をかけて育てていくという関係がありました。たとえばヴィルヘルム・フルトヴェングラーとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の関係のように、指揮者と楽団が一体となって「この楽団の音」というものを形づくっていた時代がありました。しかし現在は、シェフの交代も早く、客演も頻繁です。世界を飛び回る指揮者が、それぞれの楽団に高い完成度を求めます。その結果、どの楽団も水準は非常に高くなりましたが、響きはどこか均質になっていきました。

団員の構成も変わりました。かつては特定の音楽院の出身者が中心となり、その土地の奏法や感覚が自然と受け継がれていました。ところが今では国際オーディションが当たり前となり、国籍も経歴もさまざまな奏者が集まります。本来であれば多様性が生まれそうなものですが、実際には訓練の標準化が進み、求められる基準も世界的に揃っています。録音や配信を前提とした演奏では、傷のない、整った音が重視されます。すると、かつてあった「ため」や「粘り」や「濁り」といった要素は、次第に姿を消していきます。それと、たとえばウィーン・フィルは昔はウィーンの人しか採用しなかったようですが、今見ていると「この人ほんとにオーストリアの人なの?」みたいな人も舞台に上がっています。いいことなのか、悪いことなのか・・・。

もちろん、昔の演奏がすべて良かったわけではありません。粗さもあり、精度も今ほどではなかったでしょう。それでも、聴いた瞬間に「あ、これはウィーンだ」と感じさせるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の木管の響きや弦のうねりには、たしかに独特の魅力がありました。いまはどの楽団も驚くほど上手です。破綻も少なく、安心して聴くことができます。しかし、その代わりに、土地の匂いのようなものが薄れてしまったのではないか、という思いが残ります。

ただ、もしかすると変わったのはオーケストラだけではなく、聴く側の耳なのかもしれません。録音や配信で世界中の演奏を瞬時に比較できる時代です。私たちは知らず知らずのうちに「整った演奏」に慣れてしまったのではないでしょうか。かつての「濃さ」や「重さ」が、いまの若い聴き手には古く感じられる可能性もあります。

均質化は退屈の始まりなのか、それとも新しい段階への移行なのか。AIによる分析やホール音響の最適化、デジタル配信を前提としたバランスづくりなど、オーケストラを取り巻く環境は今後も変わり続けるでしょう。

それでもやはり考えてしまいます。あの「しんねり」とした重みは、もう戻らないのでしょうか。世界中がツルツルになったその先で、どのような響きが生まれてくるのでしょうか。あと30年後のオーケストラの音色はどうなっているのでしょうね・・・?