2026年2月23日、埼玉会館で開催された彩の国バリアフリーコンサート。登場したのはヴァイオリニストの川畠成道さんです。私が折に触れて聴きに行く、大切なソリストの一人です。とはいえここしばらくは日程が合わず、会場に足を運べていませんでしたが・・・。
だからこそ今回は本当に貴重な機会。しかも無料公演(応募多数の場合は抽選)という開かれた形での開催で、客席には幅広い世代の姿があり、開演前からどこか温かな空気が流れていました。バリアフリーコンサートという趣旨も相まって、「音楽を分かち合う場」という原点を改めて感じさせてくれる時間でした。
1曲目はタルティーニの「悪魔のトリル」。作曲者が夢の中で悪魔に奏法を授けられたとかいう有名な逸話を持つ難曲です。冒頭から高度な技巧が求められ、聴く側も一気に緊張感へ引き込まれます。けれど川畠さんの音色は、どこまでも落ち着き、艶やかで、決して荒々しさに流れません。超絶技巧の連続でありながら、音楽としての品格が保たれているのが印象的でした。悪魔的な妖しさというよりも、人間の内面を見つめるような陰影。そこにこの奏者ならではの世界を感じます。
続くベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番 春」。私自身、昨年この作品を公の場で演奏しただけに、随所に潜む難所をよく知っています。第1楽章のニュアンス付けの繊細さ、第2楽章で静謐さを保ち続ける難しさ、第3楽章でピアノとぴたりと合わせすぎてはいけない微妙な呼吸、第4楽章終盤での自然な高揚など。
・・・思い出すだけで「こんなもん我ながらよう弾いたわい」と思いました。今の自分には無理! しかし川畠さんの演奏は、どこまでも雅やかで伸びやかです。力みがなく、音楽が自ずと前へ進んでいく。技巧を超えたところで作品が呼吸していました。同じ曲でも、こうも景色が違うのか(そらそうよ)と、ある種の清々しさすら覚えました。
休憩後はエルンスト編曲(原曲シューベルト)の「魔王」。無伴奏で歌曲の4役とピアノパートまでを表現するという離れ業に、客席は大いに湧きました。疾走する伴奏音型、父・子・魔王の声色の描き分け、緊迫感の持続。一本のヴァイオリンからこれほど多層的なドラマが立ち上がるのかと圧倒されます。まさに超絶技巧と音楽的表現力が結びついた名演でした。
さらに心を掴まれたのがラフマニノフ「ヴォカリーズ」。どこか哀愁を帯びた旋律線は、川畠さんの持つ高貴で柔らかなカンタービレと見事に重なります。想像ですが、川畠さんの人柄とフィットする作品なんでしょうね。
そして代名詞とも言えるグノーの「アヴェ・マリア」。これまで何度も聴いてきたはずなのに、不思議と飽きることがありません。旋律の運び、フレーズの終わりのわずかな間合い、その日の空気を映すような祈りのニュアンス。定番であるがゆえに誤魔化しがきかない曲を、毎回新鮮に響かせる、それがプロフェッショナルの仕事なのだと改めて思わされました。
アンコールは3曲。とりわけ印象に残ったのは「ロンドンデリーの歌」でした。これで終わりだろうと思っていた矢先の3曲目。客席は水を打ったように静まり返ります。素朴な旋律が繰り返されるたびに少しずつ音域が上がり、感情もまた段階的に高まっていく。単純な構造だからこそ、心にまっすぐ届くのでしょう。最後は重音で美しいハーモニーを響かせ、その音が天井へ吸い込まれるように消えていきました。私は涙を流していました。普段はそう簡単に感情が表に出るほうではないのに、不思議なものです。これこそ音楽の力なのでしょう。
ああ、いい音楽を味わった、その満足感を胸いっぱいに抱え、春の気配を感じながら私は浦和駅へと向ったのでした・・・。
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