オーケストラの指揮者とは不思議な職業です。自分では音を出さない。お客さんに尻を向けている。そのくせ立派な燕尾服を着ている。しかし100人くらいの音楽家を統率してベートーヴェンとかワーグナーの音楽を奏でる。しかも指揮者によって表出される音楽は、同じ楽譜を使っていても微妙に異なります。例えばアクセントの付け方とか、テンポとか色彩とか・・・。不思議なものです。
オーケストラを統べる技術というのは実はかなり確立されており、皮肉な言い方ですがその「形」を身につけてしまえば指揮者に求められるカリスマ性などの素質が欠けていたとしても指揮者になれてしまいます。その「形」として有名なのが齋藤メソードと呼ばれるもの。齋藤秀雄が指揮者の動きを分析して、「叩き」とか「しゃくい」などの用語を使いながら体系立てています。
この技術の代表的な使い手が小澤征爾さん。彼の明確な指揮ぶりは、例えばストラヴィンスキーとかバルトークのような音符がぎっしりと詰まった曲でとくに効果を発揮しました。
しかし。指揮者に必要なのは指揮のための技術だけではなかったようです。もっと別の技術も必要だったようなのです・・・。
「営業力」でした。そもそも指揮者は仕事の依頼がなければ舞台に立てません。当然ですね。
指揮者の秋山和慶さんは「指揮者というのも、石をダイヤモンドというくらいに自分を売り込まないと続けていけないものなのです」と語っていました。
小澤征爾さんにしても、ミュンシュに認められ、バーンスタインという後ろ盾を獲得し、カラヤンから指導を受けるという人脈作りに始まり、音楽家が集うパーティーの場では有力者の側にサッと近寄るという売り込みに熱心だったようです。まあ、それくらいの行動力がないとスポンサー企業を見つけて寄付金を引っ張ってくるなんていう難易度の高い営業はできないですよね・・・。
してみれば、芸術家だから内向型だろうと思うのは早計で、どんどん外に向って人脈を広げていくというエネルギーや営業スキルも必要なのでしょう。辛い・・・。
たしかに、仕事を得るための人脈づくりやスポンサー獲得は現実問題として避けて通れません。けれども一流の指揮者たちを見ていると、それは単なる打算というよりも、自分の音楽を実現するための表現活動の延長のようにも思えるのです。
例えば小澤征爾さんが築いた国際的なネットワークは、名声欲だけで説明できるものではありません。彼は自分が理想とする音楽を実現できる環境を探し、そのために必要な人とつながっていった。その結果として、ボストン交響楽団との長期的な関係が生まれたのでしょう。
つまり営業とは、「自分という芸術を信じてもらう作業」なのではないでしょうか。まだ鳴っていない音楽、これから形になる演奏、その可能性を他者に想像させる力。それはカリスマというよりも、ビジョンを言葉や態度で伝える能力に近い。
考えてみれば、指揮台の上でも同じことが起きています。指揮者は音を出しません。しかし腕の動き、視線、呼吸で、これから鳴る音を先取りして提示する。オーケストラの奏者たちは、その「まだ鳴っていない音」を感じ取り、具体化するのです。
舞台の上でも外でも、指揮者は常に「未来の音」を語り続けているのかもしれません。
例えば小澤征爾さんが築いた国際的なネットワークは、名声欲だけで説明できるものではありません。彼は自分が理想とする音楽を実現できる環境を探し、そのために必要な人とつながっていった。その結果として、ボストン交響楽団との長期的な関係が生まれたのでしょう。
つまり営業とは、「自分という芸術を信じてもらう作業」なのではないでしょうか。まだ鳴っていない音楽、これから形になる演奏、その可能性を他者に想像させる力。それはカリスマというよりも、ビジョンを言葉や態度で伝える能力に近い。
考えてみれば、指揮台の上でも同じことが起きています。指揮者は音を出しません。しかし腕の動き、視線、呼吸で、これから鳴る音を先取りして提示する。オーケストラの奏者たちは、その「まだ鳴っていない音」を感じ取り、具体化するのです。
舞台の上でも外でも、指揮者は常に「未来の音」を語り続けているのかもしれません。
参考文献
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