後にボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場といった世界の主要オーケストラを指揮することになる小澤征爾さんですが、若い頃はまだあまり仕事もなく、これから将来性が期待される駆け出し指揮者の一人といった立ち位置でした。
そして1961年にはNHK交響楽団との契約を成立させます。ところが演奏会をすればするほど、両者の関係は険悪なものになっていきました。一説によると、小澤征爾さん自身が時間にルーズで、練習にたびたび遅刻してきたからだと言われています。NHK交響楽団は放送局の外郭団体で、生放送番組などもありますから時間管理には厳格です。楽団員のなかに遅刻するような者は誰一人いません。なのにリーダーが遅れてきたら・・・、そりゃ信頼なくしますわ。
そして翌1962年12月のNHK交響楽団定期演奏会は、なんと公演の前日に中止が発表されました。しかし小澤征爾さんは公演当日の朝、上野の東京文化会館に向かいます。演奏会が予定通りであれば午前中から最終リハーサルが行われるはずでした。彼は楽団員がやって来ないステージの上で一人寂しそうに立っています。N響ボイコット事件で最も有名な写真はこのとき撮影されました。
・・・あれ、楽団員がいないのにカメラマンだけはそこにいたの?
これには裏話がありました。
公演は中止なのですから小澤征爾さんも東京文化会館まで行く必要はありません。ではなぜ向ったのか。じつは小澤征爾さんは東京文化会館でマスコミと合流し、写真を撮らせていました。
この写真が週刊誌に掲載されると、古い体質のNHK交響楽団が若者をいじめているという構図が広く定着し、世論の流れは決まりました。
ではマスコミと小澤征爾さんを繋いだのは誰か。なんと石原慎太郎さんでした。NHK交響楽団の公演が中止になったあと、彼は憤慨し、小澤征爾さんに次のように指示しました。
・公演中止でも東京文化会館に行くこと。
・楽団員がたとえ来なくても、カメラマンと雑誌記者を派遣しておく。
・たった一人で立っている写真が出回れば、世論は同情するはず。
なんつー策士! のちに国務大臣や都知事になるだけのことはあります。結局この顛末が週刊文春に掲載されると、週刊朝日、週刊現代など主だった週刊誌は小澤征爾さんを支援する論調の記事を次々と発表するようになったのでした。
ここまで来てしまうと、当事者である小澤征爾とNHK交響楽団の対立は、もはや単なる遅刻問題ではなく、日本の音楽界の世代交代をめぐる象徴的事件として語られるようになります。伝統と規律を重んじるオーケストラと、海外仕込みの自由な感性を持つ若き指揮者。そこには価値観の衝突があったとも言えるでしょう。
しかし忘れてはならないのは、オーケストラもまた高度な専門家集団であり、指揮者との信頼関係がすべてだということです。カリスマや世論だけで音楽は成り立ちません。ボイコット事件は、小澤にとって大きな痛手であると同時に、世界へ飛躍する契機にもなりました。のちに彼がボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督に就くまでになる道のりを思えば、この騒動は若き日の通過儀礼だったのかもしれません。
果たして悪者は誰だったのか。理想と現実のはざまで揺れた1962年の冬は、日本のクラシック界に今も問いを投げかけています。
しかし忘れてはならないのは、オーケストラもまた高度な専門家集団であり、指揮者との信頼関係がすべてだということです。カリスマや世論だけで音楽は成り立ちません。ボイコット事件は、小澤にとって大きな痛手であると同時に、世界へ飛躍する契機にもなりました。のちに彼がボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督に就くまでになる道のりを思えば、この騒動は若き日の通過儀礼だったのかもしれません。
果たして悪者は誰だったのか。理想と現実のはざまで揺れた1962年の冬は、日本のクラシック界に今も問いを投げかけています。
参考文献
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