人はどうして放っておくとネガティブなことを考えてしまうのでしょうか。
哲学者アランは言っています。「悲観は気分に属し、楽観は意志に属する」と。だからみんななんとなくネガティブな方向に傾きがちなんですね。私だけじゃないんだ。良かった。
でも一体どうしてそうなってしまうんでしょう?
たしかに、放っておくと心は静かな方向ではなく、暗い方向へと流れていくように感じられます。まるで坂道に置いた球のように、何もしなければ下へ下へと転がっていくわけです。ザッツ万有引力。ではなぜ、私たちの思考はそのような傾きを持っているのでしょうか。
第一に、生物としての人間の歴史が関係しています。私たちの祖先にとって、最も重要だったのは「幸福になること」よりも「生き延びること」でした。草むらの音を「風だろう」と楽観する個体よりも、「もしかしたら猛獣かもしれない」と警戒する個体のほうが、生存確率は高かったはずです。つまり、ネガティブに考える傾向は欠陥ではなく、危険を察知するための装置だったのです。現代社会では猛獣に襲われることはほとんどありませんが、私たちの神経系は太古のままです。だから些細な出来事にも、過剰なまでに警戒反応を示してしまうわけですね。
第二に、思考の「空白」は安定を好まないという性質があります。やるべきことが明確で、意識が外に向いているとき、私たちは比較的穏やかです。しかし手持ち無沙汰になり、内面に意識が向くと、脳は勝手に「未解決の問題」を探し始めます。そして未解決の問題とは、多くの場合、不安や後悔や将来への懸念です。楽しい記憶よりも、引っかかっている出来事のほうが再生されやすい。これは脳が「処理しきれていない案件」を優先的に扱うからでしょう。
さらに言えば、ネガティブ思考は一種の「コントロール幻想」でもあります。最悪の事態を想定しておけば、実際に起きたときの衝撃は小さくて済むはずです。悲観しておけば裏切られない。そう信じることで、私たちは不確実な未来に対してわずかな主導権を握ろうとするのです。しかし皮肉なことに、その備えはしばしば現在の安らぎを奪ってしまう。
ここでアランの言葉に戻ります。「悲観は気分に属し、楽観は意志に属する」。もし悲観が自然落下だとすれば、楽観は筋力を使って坂を登る行為に近いのかもしれません。何もしなければ暗い方へ流れる。しかし意志を働かせれば、視線の向きを変えることはできる。これは「無理に明るくなれ」という命令ではなく、「選ぶことができる」という宣言です。
私たちは放っておけばネガティブになる存在です。けれど、それは私たちが弱いからではない。むしろ、生き延びようとしてきた長い歴史の名残です。だからこそ、自分の心が暗い方向へ傾いたとき、「ああ、人間仕様だな」と少し距離を置くことができる。その瞬間、わずかに自由が生まれます。
悲観が気分なら、それは天気のようなもの。けれど楽観は、傘をさすかどうかを決める行為に似ています。空は曇る。しかし、どのように歩くかは、まだ私たちの手の中にあるのです。
第一に、生物としての人間の歴史が関係しています。私たちの祖先にとって、最も重要だったのは「幸福になること」よりも「生き延びること」でした。草むらの音を「風だろう」と楽観する個体よりも、「もしかしたら猛獣かもしれない」と警戒する個体のほうが、生存確率は高かったはずです。つまり、ネガティブに考える傾向は欠陥ではなく、危険を察知するための装置だったのです。現代社会では猛獣に襲われることはほとんどありませんが、私たちの神経系は太古のままです。だから些細な出来事にも、過剰なまでに警戒反応を示してしまうわけですね。
第二に、思考の「空白」は安定を好まないという性質があります。やるべきことが明確で、意識が外に向いているとき、私たちは比較的穏やかです。しかし手持ち無沙汰になり、内面に意識が向くと、脳は勝手に「未解決の問題」を探し始めます。そして未解決の問題とは、多くの場合、不安や後悔や将来への懸念です。楽しい記憶よりも、引っかかっている出来事のほうが再生されやすい。これは脳が「処理しきれていない案件」を優先的に扱うからでしょう。
さらに言えば、ネガティブ思考は一種の「コントロール幻想」でもあります。最悪の事態を想定しておけば、実際に起きたときの衝撃は小さくて済むはずです。悲観しておけば裏切られない。そう信じることで、私たちは不確実な未来に対してわずかな主導権を握ろうとするのです。しかし皮肉なことに、その備えはしばしば現在の安らぎを奪ってしまう。
ここでアランの言葉に戻ります。「悲観は気分に属し、楽観は意志に属する」。もし悲観が自然落下だとすれば、楽観は筋力を使って坂を登る行為に近いのかもしれません。何もしなければ暗い方へ流れる。しかし意志を働かせれば、視線の向きを変えることはできる。これは「無理に明るくなれ」という命令ではなく、「選ぶことができる」という宣言です。
私たちは放っておけばネガティブになる存在です。けれど、それは私たちが弱いからではない。むしろ、生き延びようとしてきた長い歴史の名残です。だからこそ、自分の心が暗い方向へ傾いたとき、「ああ、人間仕様だな」と少し距離を置くことができる。その瞬間、わずかに自由が生まれます。
悲観が気分なら、それは天気のようなもの。けれど楽観は、傘をさすかどうかを決める行為に似ています。空は曇る。しかし、どのように歩くかは、まだ私たちの手の中にあるのです。
コメント