ナチス・ドイツがオーストリアを併合したのは1938年のこと。これにより、この国で暮らしていたユダヤ人たちは迫害を受けることになりました。彼らの多くは、強制収容所などで命を落とすことになり、そのような非人道的犯罪に関わっていた元ナチスは21世紀になってもなお起訴されるといった事例もあります。
しかしながら、オーストリア併合以前にもナチスに同調する者がいたのもまた事実であって、彼らは陰に日にユダヤ人へ様々な嫌がらせを行っていました。以下に引用するのは、ユダヤ人指揮者ブルーノ・ワルターの音楽会で起こった出来事です。
(楽劇『トリスタンとイゾルデ』の)終幕が最後に近づこうとした時三階席から硝子瓶を投げた者がいた。それは階下で破れた。しかも、それは二硫化炭素であったため(私はそれが人絹製造に必要な薬品なのですぐなんであるかがわかった)、階下の客席からは一人立ち、二人立ちして多くの人がハンカチで鼻を被って退出した。その悪臭は舞台にまで拡がって「愛の死」の場面に及んだ。プラハから来ていたヒルデ・コネツニーのイゾルデは横たわったまま歌をやめてしまったので、沈黙の中に、オーケストラのみ独り終曲を奏でて異常な緊張の中に幕をとじた。聴衆は声のない歌劇に特別の感激を覚えた。それにブルーノ・ワルターとウィーン・フィルハーモニーの水際立った力量を思い知らせるのに十分な演奏であった。(『大原總一郎随想全集3』より)
大原總一郎は、のちにクラレの社長となりましたが、1936年から1938年まで欧州に滞在し、各地の音楽会に顔を出し、後に上記のような回想を残しています。このときの妨害行為もやはりナチス党員による嫌がらせであったと見られています。
三階席から投げ込まれた小瓶一つで、ワーグナーの「愛の死」は文字どおり声を奪われました。しかし、この夜ほんとうに試されていたのは、音楽の持つ精神の強度だったのではないでしょうか。悪臭が客席を満たし、歌手が横たわったまま沈黙せざるを得ないという異様な状況のなかで、それでもオーケストラは演奏を止めなかったのです。声を欠いた終幕。にもかかわらず、いや、だからこそ聴衆はそこに特別の緊張と感動を覚えたといいます。
ナチズムは政治運動であると同時に、文化の領域にまで深く侵入する思想でした。ユダヤ人を社会から排除するだけでなく、彼らが担ってきた芸術や知的活動そのものを否定しようとしたのです。ブルーノ・ワルターはその標的のひとりでした。後年ナチスによって「ドイツ精神」の象徴のように扱われることになるワーグナーを、ユダヤ系の指揮者が振り、ウィーン・フィルがそれに応える。その光景自体が、彼らにとっては我慢ならないものだったのでしょう。
音楽会場というのは、本来もっとも政治から遠い場所であるはずです。ところがこの時代、劇場の内部にまで時代の亀裂は入り込んでいました。瓶を投げた者は、一夜の公演を妨害しただけではありません。そこに集った人々に対し、「お前たちは許されない存在だ」という無言の宣告を突きつけたのです。
1938年の併合はたしかに大きな断絶でした。しかし、大原の回想が示しているのは、その前から社会の空気が少しずつ濁り始めていたという事実です。露骨な暴力に至る前段階としての嫌がらせ、威嚇、そして沈黙の強要。そうした小さな出来事が積み重なり、やがて取り返しのつかない悲劇へとつながっていきました。
甘美であるはずの「愛の死」に漂った刺激臭。それは単なる悪戯の結果ではなく、時代そのものの匂いだったのかもしれません。音楽はその夜、最後まで鳴り続けました。しかしヨーロッパ社会は、このあと長い沈黙へと追い込まれていくことになります。
ナチズムは政治運動であると同時に、文化の領域にまで深く侵入する思想でした。ユダヤ人を社会から排除するだけでなく、彼らが担ってきた芸術や知的活動そのものを否定しようとしたのです。ブルーノ・ワルターはその標的のひとりでした。後年ナチスによって「ドイツ精神」の象徴のように扱われることになるワーグナーを、ユダヤ系の指揮者が振り、ウィーン・フィルがそれに応える。その光景自体が、彼らにとっては我慢ならないものだったのでしょう。
音楽会場というのは、本来もっとも政治から遠い場所であるはずです。ところがこの時代、劇場の内部にまで時代の亀裂は入り込んでいました。瓶を投げた者は、一夜の公演を妨害しただけではありません。そこに集った人々に対し、「お前たちは許されない存在だ」という無言の宣告を突きつけたのです。
1938年の併合はたしかに大きな断絶でした。しかし、大原の回想が示しているのは、その前から社会の空気が少しずつ濁り始めていたという事実です。露骨な暴力に至る前段階としての嫌がらせ、威嚇、そして沈黙の強要。そうした小さな出来事が積み重なり、やがて取り返しのつかない悲劇へとつながっていきました。
甘美であるはずの「愛の死」に漂った刺激臭。それは単なる悪戯の結果ではなく、時代そのものの匂いだったのかもしれません。音楽はその夜、最後まで鳴り続けました。しかしヨーロッパ社会は、このあと長い沈黙へと追い込まれていくことになります。
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