源氏物語には様々な女性たちが登場します。葵の上とか桐壺とか紫の上とか花散里とか明石の君とか、とにかく盛りだくさんです。そしてたいていは光源氏によって(現代の価値観で言うなら)不同意性交を迫られるわけです。

女性キャラの中で、ちょっと陰が薄いのが末摘花(すえつむはな)。彼女は常陸宮の姫君で、鼻の先が紅花のように赤い・・・つまりブサイクキャラとして描かれます。落ちぶれた結果としてメンテナンスの行き届かなくなった屋敷に住むことになります。古風な性格だが、光源氏をずっと待っていたという一途さゆえに、最終的に二条院に引き取られて生活の面倒を見てもらえることになりました。

いかに彼女が零落したとはいえ、一応使用人がいました。ところがその使用人もやはり櫛の歯が欠けるように少しずついなくなってしまいます。転職しちゃったんですね。気持ちはわかります。私も労働者なので「沈みゆく船の中で、最速で水を掻き出すプレーヤーにならなくていい」という考えです。

ところが彼らは、末摘花に光源氏という後ろ盾がついたことがわかると、今度は我先に帰参したがるのでした。一応これまで気楽に働いていたので、その後ほどほどの所で勤務していても、その職場の人間関係などがうまく行かなかったりして、たちまち掌返しのごとく彼女のところに再就職してしまったのでした。これはそういうしょうもないサラリーマンの姿を示すことで、無言のうちに末摘花の気高さを表そうとしているわけですね。

末摘花の使用人たちは、物語の中で特別に台詞を与えられるわけでも、強い個性を描写されるわけでもありません。しかし彼らの動きは、驚くほど生々しいです。主人が没落すれば職場環境は悪化し、将来の見通しも立たない。となれば転職を考えるのは当然ですし、「義理」や「忠誠」だけで生活は成り立ちません。ここに描かれているのは高尚な忠義ではなく、きわめて現実的な労働判断です。

一方で、光源氏という強力な後ろ盾が現れた瞬間、彼らは一斉に戻ってこようとします。これもまた卑劣というより、驚くほど正直です。安定した職場、待遇の改善、将来の安全。条件が整えば戻る。それだけの話とも言えます。しかも彼らは、かつての主人に直接危害を加えたわけでも、裏切りの言葉を吐いたわけでもありません。ただ静かに去り、そして条件が整えば静かに戻る。その態度は、現代のサラリーマンとほとんど変わらないのです。

ここで際立つのが、末摘花自身の立ち位置です。彼女は彼らを責めません。引き留めもしなければ、戻ってきた彼らを咎めることもしない。自分の零落が原因で去ったことを理解し、再び仕えることになっても特別な感情を表に出さない。少なくとも『源氏物語』にはそういう描写はありません。この「何も言わなさ」が、結果として彼女の気高さを浮かび上がらせます。

つまりこのエピソードは、「使用人の薄情さ」を描く話ではありません。むしろ、生活に縛られた人間の弱さと、それを受け止める側の静かな尊厳の対比が主題です。末摘花は美貌も権勢も持たない女性ですが、人を裁かない姿勢だけは終始一貫しています。その一貫性があるからこそ、使用人たちの人間くささが、より鮮明に、そしてどこか滑稽に映るのです。

源氏物語はしばしば恋愛や権力闘争の物語として読まれますが、こうした脇役の挙動に目を向けると、驚くほど現代的な労働観や人間観が潜んでいることに気づかされます。末摘花の使用人たちは、千年前の物語の中で、今日もなお私たちのすぐ隣にいそうな、ろくでもないサラリーマンなのです。