17世紀前半のオランダで起きたチューリップバブルは、世界最初の投機バブルとして知られています。チューリップはもともとオスマン帝国から伝来した珍しい花で、とりわけ花弁に不規則な模様が入る希少品種は、上流階級のあいだで強い憧れの対象となりました。当初は純粋な鑑賞価値やステータスとして取引されていましたが、やがて価格が上昇し続けるにつれて、「買えば儲かるもの」へと性格を変えていきました。あとから見れば「なんでチューリップやねん」と思うかもしれませんが、渦中にいる人にしてみれば十分納得がゆく商品だったはずです。私も「なんでチューリップやねん」としか思いませんが。

特徴的なのは、実物の球根ではなく、収穫前の球根を売買する先物契約が広く取引されるようになった点です。人々は居酒屋や市場で契約書だけを転売し、花を見ることなく利益を得ようとしました。最盛期には、一つの球根が熟練職人の年収を大きく上回り、家一軒と交換できるほどの価格がついたとも言われています。価格を押し上げていたのは、チューリップそのものの実用価値ではなく、「これは特別で、今買わなければ二度と手に入らない」という物語でした。いや、「神話」と言ったほうがふさわしいかもしれません。

しかし1637年、ある競売で買い手がつかない出来事が起こります。それ自体は小さな出来事でしたが、人々の心理を一気に冷やすには十分でした。高値で売り抜けるつもりだった参加者が同時に売りに回り、価格は短期間で暴落します。結果として国家経済が崩壊するほどの打撃にはなりませんでしたが、多くの人が損失を被り、「熱狂は必ず終わる」という苦い記憶を残しました。

この出来事から得られる教訓は、現代にもそのまま当てはまります。価格が上昇している理由を、私たちは往々にしてもっともらしい理屈で説明しますが、それが本質的に正しいとは限りません。「今回は過去と違う」「新しい時代が来た」という言葉は、当時も今も繰り返し使われています。また、市場全体は理性的に見えても、参加する人間一人ひとりは感情に左右されやすく、皆が同じ出口を目指した瞬間に逃げ場はなくなります。思えば2017年の仮想通貨バブルもそんな感じでしたね。

チューリップバブルは、人間の欲望が広く共有されたとき、どれほど急速に価格が現実から離れていってしまうかを示した例です。そしてバブルの崩壊は、大きな原因よりも、わりとしょうもないきっかけによって引き起こされることが少なくありません。この歴史は、対象が花から株式、暗号資産、不動産へと変わっても繰り返されています。結局のところ、私たちが学ぶべきなのは、価格の裏にある物語に飲み込まれず、それが本当に持続可能な価値なのかを問い続ける姿勢なのかもしれません。

しかし、今度は一体どんなバブルが来るのでしょうか。チューリップでバブルになったことがあるなら、クロワッサンとかコーヒー豆とか、あるいは流木や石とかでもなりそうな気がします。アホですね。