ヨーロッパを旅して、ヴェルサイユ宮殿とかシェーンブルン宮殿を訪れるたびに、「ああ、こういう宮殿に暮らすことができたらな」と夢想するのが常です。実際に暮らしてみたら夏暑くて冬寒い、広すぎて電気代がものすごくかかる、というのが関の山ですが、1か月くらいなら住めるんじゃないか、という余計な空想をしてしまいます。コロナによって緊急事態宣言が出されていた時は、高級ホテルのセミスイートが信じられないくらいのディスカウント価格で宿泊できたので、今にして思えば宮殿とはいかないまでもそういうところに滞在すればよかったと後悔しきりです。

そして私は知りました。ウィーンのシェーンブルン宮殿は、実際に居住可能なのでした。NHKの「世界遺産(レガシー)ワーカー シェーンブルン宮殿・庭園群」を見て知りました。この番組では、かつて使用人が暮らしていた区画およそ150室が開放され、市民が居住しているようです。番組に登場したのは、かつてシェーンブルン宮殿の案内係として様々なVIPを案内したという方。広々とした部屋でした。羨ましい!

(2016年)1月17日放送、「林先生が驚く初耳学!」(TBS)では、住める世界遺産。オーストリアのシェーンブルン宮殿では、誰でも住むことができる。マリー・アントワネットが少女時代を過ごしたり、モーツァルトが公の場で初めて演奏を披露した場所だ。宮殿の一部が賃貸となっており、今住んでいる男性の部屋を拝見した。この宮殿の家賃は月4万円だが、今のところ空き部屋はないとのこと。

広さは2LDKで120平米もある。シェーンブルン宮殿は首都ウィーンにある宮殿で、観光客に公開されている2階部分を除いた居室が文化財管理公社によって賃貸として一般に貸し出されている。

ウィーンの住宅問題を解決するために考えだされたもの。建物の性質を変えない程度のリフォームは許可されている。居住に不便な面があるため、ウィーン市民にはそれほど人気はないのだが、世界的に見て珍しい取り組みなので注目を集めている。

(https://news.livedoor.com/article/detail/11079044/より)
TV放送は10年前なので物価や為替レートを2026年現在に計算し直す必要がありますが、たとえ2倍の8万円でも120平米ならものすごく魅力的です。水回りが不便で市民には不人気だそうですが、1年でいいから住んでみたい!

この「住める世界遺産」という事実は、単なるトリビア以上のものを含んでいるように思います。宮殿とは本来、権力と富の象徴であり、選ばれたごく一部の人間だけが足を踏み入れることのできた空間でした。その内部に「市民が暮らす」という行為は、歴史の文脈で見ればほとんど革命的です。マリー・アントワネットやハプスブルク家の皇帝たちが行き交った廊下の先で、現代人が洗濯物を干し、夕食の支度をしている。その事実だけで、時間というものの不思議さを強く感じます。

もちろん、快適性という点では現代のマンションに軍配が上がるでしょう。断熱性能は低く、天井は高すぎ、窓は大きく、冬は寒く夏は暑い。水回りも制約が多いはずです。しかし、生活とは必ずしも合理性だけで測られるものではありません。朝、厚い石壁に囲まれた部屋で目を覚まし、窓越しに同じ庭園を眺める体験は、効率や利便性とは別次元の「豊かさ」を与えてくれるはずです。

ウィーン市が住宅問題の解決策としてこのような方法を選んだ背景も興味深い点です。歴史的建造物を「保存する対象」として博物館化するのではなく、「使い続ける場所」として市民生活に組み込む。その発想は、日本の文化財行政とはかなり異なります。日本では、文化財に人が住むというだけで眉をひそめる声が上がりがちですが、使われなくなった建物が急速に劣化するというのは皆さんご存知ですよね。

もし私が1年間シェーンブルン宮殿に住むことができたなら、豪華な生活を送ろうとは思いません。家具は最低限、暖房も必要な分だけ。静かな夜に、宮殿の空気を吸い込みながら本を読み、音楽を聴き、過去と現在が重なり合う感覚を味わいたい。あわよくば宮殿の小部屋でいいからヴァイオリンの練習をしたい。庭園でランニングしたい。それだけで十分です。いや高望みか。

旅先で抱く「住んでみたい」という空想は、多くの場合、実現しないからこそ美しいのかもしれません。それでも、世界のどこかでは実際にその空想が日常になっている人がいる。その事実を知ってしまった以上、私はこれからも宮殿を訪れるたびに、少しだけ本気で「ここで暮らす自分」を想像してしまうのだと思います。