平山郁夫の終生のテーマとなった「東方」。日本をシルクロードの終着点と見れば、朝鮮、中国、中央アジア諸国そしてイランやイラク、シリア、レバノン、トルコあたりまでが一つの文化圏として収まることになります。そして平山郁夫はこうした国々を幾度も訪問し、自らの表現活動の題材としています。

その中の一つが、尾道市瀬戸田町にある平山郁夫美術館に収蔵されている「求法高僧東帰図」です。

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この作品は、作者自身によって次のような解説がなされています。
天竺への道を、玄奘や法顕のように多くの求法僧が目指した。求法僧の中には、道に迷ったり、病に倒れたり、あるいは盗賊に襲われたり、多くの旅人たちと同様に、途中で倒れ、目的を成就できなかった人も多い。
この図は、天竺求法を終えて、中国へ東に向って帰る砂漠を行く集団の僧たちであるが、天竺への求法の旅を果たした何人もの僧たちがたどったその姿を象徴的に描いたものである。(平山郁夫)

(https://hirayama-museum.or.jp/museum/collection/buddhism.html より)
自らも被爆者である平山郁夫は、人の往来こそが平和の礎となるという考えを持っていました。だからでしょうか、この作品に描かれている僧たちは疲れた様子ながらも、金色に輝く平和な日差しに包まれて満足気でもあります。

彼らが進む「東」という方角は、単なる地理的な帰路ではありません。それは、知を携えて再び俗世へ戻る方向であり、学びを自らの共同体へ還元するための道でもあります。求法僧にとって旅の本質は、異国に辿り着くことではなく、異国で得たものを抱えて帰ることにあったはずです。その意味で「東帰」は、達成と責任を同時に象徴する言葉だと言えるでしょう。

平山郁夫の描く僧たちは、決して英雄的ではありません。足取りは重く、隊列も整然とはしていない。しかし、その一人ひとりが同じ方向を向き、沈黙のうちに歩みを進めています。ここに描かれているのは、劇的な勝利の瞬間ではなく、長い遍歴を経た者だけがたどり着く静かな充足感です。金色の光は祝福というより、すべてを等しく包み込む時間そのもののようにも見えます。

この作品を前にすると、シルクロードが単なる交易路ではなく、思想や信仰、価値観が行き交う「精神の往来路」であったことを改めて実感します。仏教はインドで生まれ、中国を経て日本へ伝来しましたが、その過程で形を変え、土地ごとの文化と融合しながら深化してきました。求法僧の旅とは、正解を持ち帰る行為ではなく、異なる世界に身を置き、自らを揺さぶり続ける営みだったのではないでしょうか。

被爆体験を持つ平山郁夫が、人の往来に平和の可能性を見出したことは決して偶然ではありません。断絶や排除が暴力を生み、往来と対話が理解を育てる。その信念は、砂漠を行く僧たちの姿に託されています。彼らは武器を持たず、国境を越え、異なる言語と風土の中を歩き続けました。そこには、力によらない世界のつながり方が示されています。

「求法高僧東帰図」は、過去の宗教史を描いた作品であると同時に、現代を生きる私たちへの問いかけでもあります。私たちは、何を求めて外へ向かい、何を携えて帰ってくるのか。疲れながらも歩みを止めない彼らの背中は、その問いに対する一つの理想的な姿を、静かに示しているように思えるのです。