私はヴァイオリンケースをデコるのが好きです。ポムポムプリンの小型ぬいぐるみに加え、オランダとベルギーを訪れた時に買ってきたピンバッジやステッカーのほか、平等院鳳凰堂を訪れたときの鳳凰のピンバッジなどあれこれ飾り立てています。自分は陰キャで根暗だという自覚はありますが、ヴァイオリンケースだけは妙に陽キャな雰囲気が醸し出されています。

ヴァイオリンケースをデコったからといってなにかメリットがあるわけではありません。ケースが派手だからといって、ヴァイオリンがうまくなるわけでもありません。メリットを強いて言うなら、あまりに派手だと逆に盗難対策になることくらいでしょうか。ヘンテコなケースを持って歩いていると目立ちますし、ポムポムプリンの小型ぬいぐるみがくっついているヴァイオリンケースなんて防犯カメラの映像でも探しやすいに決まっています。

とはいえ、派手なヴァイオリンケースを持って街を歩くと、ほんのわずかながら心境の変化が起こります。別に人に話しかけられるわけでも、注目を浴びたいわけでもありません。ただ、「これは自分のものだ」「自分が選んだ配置だ」という感覚が、ケースを握る手に確かさを与えてくれるのです。

思うに、私たちは日常生活の多くの場面で「無難」を選びがちではないでしょうか。服装も言動も、できるだけ角が立たないように整え、目立たない位置に身を置こうとします。それは処世術でもあり、防衛でもあります。しかしその分、自分の輪郭が薄れていく感覚も否定できません。そんな中で、ヴァイオリンケースだけは例外です。誰に提出するわけでもなく、評価される必要もない。完全に私の裁量で、好きなものを好きなように並べられる数少ない対象です。

ポムポムプリンのぬいぐるみも、海外で買ったピンバッジも、平等院の鳳凰も、それぞれに意味があります。楽しかった旅行の記憶、心を動かされた風景、音楽とは直接関係のない感情。それらがケースの表面に可視化されていることで、「自分の人生はちゃんと連続している」という実感が生まれます。これは思いのほか大きい。逆に、これらの装飾が外れて紛失したりするとけっこう凹みます。一時期ニュージーランドのシルバーファーン(シダ植物の一種)のブローチをつけていたのですが、一瞬で取れそうになって慌てて取り外しました。無くなりはしませんでしたが、ピンが曲がったので再利用は不可能な状態になりました。

もちろん、ケースをデコったからといって性格が明るくなるわけではありません。相変わらず陰キャで、根暗で、人付き合いが得意になる兆しもありません。ただ、ヴァイオリンを背負って家を出るとき、「自分の好きなものを大事にしている」という事実が、わずかに背筋を伸ばしてくれます。そのわずかな差が、一日の過ごしやすさを左右することもあるのです。

自己肯定感というと、大げさな成功体験や他者からの承認を想像しがちですが、必ずしもそうではありません。誰にも迷惑をかけず、誰にも評価されない場所で、「これでいい」と思える対象を持つこと。その積み重ねが、静かに、しかし確実に自分を支えてくれます。私にとってのそれが、少し陽キャな雰囲気をまとったヴァイオリンケースなのだと思います。