たまたま、皇居財布というものが静かなブームになっているということを知りました。
これは、東御苑内の「大手仮休憩所」や「本丸休憩所」の売店で購入できる財布で、2,000円〜5,000円台という、利益を出すことをほとんど否まったく考慮していないような値段で買えてしまいます。しかも菊の御紋まで付いているというありがたみに溢れたもの。これを目当てに朝早くから行列ができているようです。
・・・ということを知り、「たぶん転売する人が出てくるんだろうな・・・」と想像しました。想像どおりでした。たとえばアマゾンで1万円を超える価格で売られていました。一般ルートで流通するような品物ではないので明らかに転売ですね。その価格が付いているということは、それでも買う人がいるということであり、それだけの経済的価値があるということなのでしょう。
しかし、ここでどうしても複雑な気持ちが湧き上がってきます。本来であれば、皇居という特別な場所を訪れた人だけが、その記念として、あるいは静かな敬意のしるしとして手に取るはずの品物です。東御苑を散策し、手入れの行き届いた庭園に心を澄ませ、その余韻のまま売店でそっと購入する・・・そうした体験があってこそ価値が宿るはずなのに、インターネット上ではその「プロセス」ごと切り離され、単なる金銭的価値として売買されている。そこにあるのは、相手の顔も想いも見えない無機質な取引だけです。
もちろん、需要があるから供給が生まれるのであり、転売行為そのものを一概に悪と断じることは難しいという意見もあるでしょう。しかし、今回のケースは少し事情が異なるように思えるのです。たとえば限定生産のスニーカーの抽選に並ぶのとは違い、皇居の売店は利益追求が目的の施設とは言い難いでしょう。むしろ来園者に対して適正な価格で手に取りやすい品を提供し、訪れた記憶をやさしく持ち帰ってもらうことを目的にしています。それが高額で再流通してしまえば、本来の意図も、そこに込められた配慮も歪められてしまいます。
さらに、菊の御紋が入っているという事実が、転売という行為と一層相性が悪いのではないかとも感じます。皇室の象徴が不用意に金銭価値の操作の道具のように扱われてしまうのは、どこか寂しいものです。買う側も悪意を持っているわけではなく、単に「手に入りにくい希少なグッズ」として見てしまっているのでしょうが、背景にある文脈や製品の本来の位置づけを思うと、やはりどこか場違いな違和感が拭えません。
東御苑という場所は、皇居に隣接し、季節ごとに違う美しさと静謐な時間を提供してくれる場所です。その空間の延長線上にある売店の品物は、単なる土産物ではなく「体験の余韻の一部」なのだと思います。だからこそ、本来の価格で手にできる人が少しでも減ってしまう状況は、どこかもったいない。ましてや、朝早く並んでも品切れになってしまう一因が転売目的の購入だとしたら、誠実に訪れた人ほど報われないという、望ましくない構図が生まれてしまいます。
もちろん、規制を強めればよいという単純な話ではありません。むしろ、多くの人が「これは転売しないでおこう」と自然に感じられるような、緩やかなモラルの共有があるべき姿なのかもしれません。皇居の財布は、その佇まいも価格も、そして置かれている場所も、すべてが特別で、本来なら静かに大切にされるべき品です。だからこそ、そこにブームが起き、転売が横行してしまうこと自体が、現代の日本国民の消費行動の縮図のようにも見えて、なんともやりきれない気持ちになってしまうのです。
もちろん、需要があるから供給が生まれるのであり、転売行為そのものを一概に悪と断じることは難しいという意見もあるでしょう。しかし、今回のケースは少し事情が異なるように思えるのです。たとえば限定生産のスニーカーの抽選に並ぶのとは違い、皇居の売店は利益追求が目的の施設とは言い難いでしょう。むしろ来園者に対して適正な価格で手に取りやすい品を提供し、訪れた記憶をやさしく持ち帰ってもらうことを目的にしています。それが高額で再流通してしまえば、本来の意図も、そこに込められた配慮も歪められてしまいます。
さらに、菊の御紋が入っているという事実が、転売という行為と一層相性が悪いのではないかとも感じます。皇室の象徴が不用意に金銭価値の操作の道具のように扱われてしまうのは、どこか寂しいものです。買う側も悪意を持っているわけではなく、単に「手に入りにくい希少なグッズ」として見てしまっているのでしょうが、背景にある文脈や製品の本来の位置づけを思うと、やはりどこか場違いな違和感が拭えません。
東御苑という場所は、皇居に隣接し、季節ごとに違う美しさと静謐な時間を提供してくれる場所です。その空間の延長線上にある売店の品物は、単なる土産物ではなく「体験の余韻の一部」なのだと思います。だからこそ、本来の価格で手にできる人が少しでも減ってしまう状況は、どこかもったいない。ましてや、朝早く並んでも品切れになってしまう一因が転売目的の購入だとしたら、誠実に訪れた人ほど報われないという、望ましくない構図が生まれてしまいます。
もちろん、規制を強めればよいという単純な話ではありません。むしろ、多くの人が「これは転売しないでおこう」と自然に感じられるような、緩やかなモラルの共有があるべき姿なのかもしれません。皇居の財布は、その佇まいも価格も、そして置かれている場所も、すべてが特別で、本来なら静かに大切にされるべき品です。だからこそ、そこにブームが起き、転売が横行してしまうこと自体が、現代の日本国民の消費行動の縮図のようにも見えて、なんともやりきれない気持ちになってしまうのです。
そして、私はこういう記事を書きながらますます人間嫌いを募らせてしまうのでした。
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