ゴッホ。この名前を知らない人はいないでしょう。生前に売れた絵画はたったの1枚。しかし死後急速に名声が高まり、今ではアムステルダムに彼の作品を専門とする美術館が開館しています。日本でもゴッホをテーマとする展覧会が開催されれば大混雑は必至。かほどまでに生前と死後で評価がガラリと変わった人も珍しいでしょう。

一方でゴッホの生涯を辿ってみると、相当な生きづらさを抱えていたことが分かっています。現代人の感覚で言うと発達障害だったんじゃないのと思えるほどに・・・。

まずやる気が空回りしてウザい人になりがちでした。人の役に立ちたいと思う気持ちは強かったものの、そのせいでかえって人から嫌われてしまうのでした。たとえば、彼には農民の役に立ちたいという思いがありました。でも農民を描いた作品を熱心に描こうとすればするほど、モデルをさせられる農民にしてみれば仕事の邪魔でしかありません。そういう人間関係での躓きが重なった結果としてオランダにいづらくなり、パリに出てくることになったわけです。

そして思い込みが激しかった。たとえば日本のことを徹底的に誤解していた。その間違った日本の姿に惚れ込んで当時大量に出回っていた浮世絵を(弟テオのお金で)買い集め、その色彩の豊かさから「日本というのは光あふれる南国に違いない」と思い、意を決して明るい光を求めて南仏アルルに引っ越してしまいます。

さらには「日本の画家は共同生活をしながら、お互いに絵を交換しあっている」という偽知識を信じ込み、しかもこれを真似しようとして知り合いたちをアルルの自宅に招き入れようとします。もちろん嫌です。ゴッホの思い込みが激しくて一度かかわるとウザい思いをするという厄介な性格をみんなわかっていたからです。ちなみに「画家は共同生活をしている」「絵を交換している」というのは、単に浮世絵の製作が分業体制(絵師、彫師、摺師、版元)だっただけのことです。

唯一呼びかけに応じたのがゴーガンでした。テオから頼み込まれてしぶしぶ行ったというのが実態に近かったようです。ゴーガンも海軍経験があるので掃除を始めとする家事は一通りできます。ゴッホは・・・、言うまでもないでしょう。むしろ「ゴーガンはちゃんと夜に寝ているか」などと部屋を覗きに行ったくらいです。

その結果、「そらそうよ」ともいうべき帰結として、ゴーガンがやってきてたった2か月程度で有名な耳切事件を起こしてしまうのでした。ゴッホが自分で耳を切り取ってなじみの娼婦のところに届けたというものすごく気持ち悪い事件でした。当然ゴーガンとの生活は破綻します。

その後ゴッホは精神科の病院で治療を受けながら絵を描き続けるわけですが、有名な「星月夜」などを始めとするこの頃の作品群はいずれも歪んでいます。彼はあくまでも見たままを描いたつもりだったようです。

やがて彼は精神が安定してからパリの北西部に引っ越すわけですが、「カラスのいる麦畑」のような不吉な作品を描くようになり、最後は拳銃で自殺を遂げてしまいます(他殺説あり)。

ゴッホの人生を振り返ってみると、その作品は彼の生きづらさと表裏一体でもあることに気づかされます。そう考えると、生きづらさを抱えるというのは、ある意味芸術家の宿命であるのかもしれません。


参考文献:『めちゃくちゃわかるよ! 印象派 山田五郎オトナの教養講座』