グルヌイユ。これは架空の人物です。パトリック・ジュースキント作『香水』の主人公であり、自分は体臭がまったくない一方で、ずば抜けた嗅覚を持って生まれていました。
18世紀のパリ。孤児のグルヌイユは生まれながらに図抜けた嗅覚を与えられていた。真の闇夜でさえ匂いで自在に歩きまわることができるほどの嗅覚──。異才はやがて香水調合師として、あらゆる人を陶然とさせていく。さらなる芳香を求めた男は、ある日、処女の体臭に我を忘れる。この匂いをわがものに……欲望のほむらが燃えあがり、彼は、馥郁たる芳香を放つ少女を求めて次々に殺人を犯す。稀代の“匂いの魔術師"をめぐる大奇譚。
文春文庫の裏表紙にはこのように書かれています。少女の香りに誘われるあまり、人を殺してしまうというのは何とも奇想天外なお話です。よく知られたお話ですが、当時のフランス人は(スペイン人もドイツ人もそうだったのでしょうけれど)とにかく臭かった。庶民も貴族も臭かった。毎日風呂に入るわけでもなく、それが臭さに拍車をかけていました。そこで香水が普及するようになったのです。てか、風呂に入れよって話ですが。
この物語の最終盤には、グルヌイユがとある香りを放つことで人を動かすという場面があります。現実にはかぐわしい香りのせいで人が特定の行動をとるということは考えにくいですが、これはフィクションですから作者がそうなったと書けばそれでよし。
では「香りが人を動かすことはあるのか」。グルヌイユ級の超常現象はもちろん起こりませんが、香りが人間の内部に働きかける力は、けっこう侮れません。その最たる例が、プルーストのあの有名な“マドレーヌ”のエピソードでしょう(これもフィクションだが)。紅茶に浸したマドレーヌを口にした瞬間、主人公は幼い頃の記憶が滝のようにあふれ出してくる。合理的説明もなく、ただ“香りと味”が記憶の扉を勝手に開けてしまう。あの場面は、嗅覚と記憶がいかに直結しているかをこれ以上なく象徴しています。
香りは、理性のガードをすり抜ける不思議な刺激です。視覚や聴覚のように「情報を解釈しよう」とする前に、情動や記憶の領域に直接アクセスしてしまう。幼いころ使っていた石けんの匂いに偶然出会っただけで、突然、忘れたはずの景色がよみがえったりする。これは脳の構造に理由があり、嗅覚は感情の中枢と距離が近いと言われています。ある意味“裏口から心に侵入する感覚”であり、プルーストもそれを見事に文学化したわけです。
現代では、アロマセラピーや香りマーケティングといったビジネスが発達しています。デパートに入った瞬間に漂ってくる“高級感の香り”、コーヒーショップの焙煎の匂い、ホテルロビー独特の清涼感。あれらは、客の気分を微妙に誘導するために計算されていたりします。香りによって滞在時間が伸びたり、購買行動に影響が出たりという研究結果もあるほどです。もっとも、香りだけで人を意のままに操れるわけではありません。財布の紐が固い人を、どれだけ良い香りで包んでも急に浪費家にはなりませんし、嫌いな仕事が突然好きになることもない。
それでも「気分の下地を整える」くらいの影響は十分にある。マドレーヌによって突然よみがえる記憶は、別に主人公の意思によるものではありません。香りが勝手にスイッチを押しただけです。それと同じように、私たちの日常も“無意識のうちに調整されている状態”は多い。部屋のにおいが好みの香りに変わると作業がはかどったり、逆に嫌なにおいがあると集中が奪われたり。理性的に生きているつもりでも、案外、香りという名の外部刺激に翻弄されているのです。
そして思えば、21世紀の私たちは香りの人工物に囲まれすぎています。柔軟剤、ボディソープ、ヘアミスト、アロマディフューザーなど。十八世紀のパリより、むしろ現代の方がよっぽど“香り依存”なのかもしれない。そう考えると『香水』のグルヌイユは、狂気の殺人者であると同時に、香りが支配する社会の未来像を早めに提示していた存在にも見えてきます。
結局のところ、香りは魔法にはならないが、人の内側を揺らす“きっかけ”にはなり得る。マドレーヌ一つで記憶が蘇るように、香りはときに理性の底に沈んでいた何かをそっと動かす。そう思いながら『香水』を読み返してみると、また新しい匂い――いや、味わいが見つかるはずです。
香りは、理性のガードをすり抜ける不思議な刺激です。視覚や聴覚のように「情報を解釈しよう」とする前に、情動や記憶の領域に直接アクセスしてしまう。幼いころ使っていた石けんの匂いに偶然出会っただけで、突然、忘れたはずの景色がよみがえったりする。これは脳の構造に理由があり、嗅覚は感情の中枢と距離が近いと言われています。ある意味“裏口から心に侵入する感覚”であり、プルーストもそれを見事に文学化したわけです。
現代では、アロマセラピーや香りマーケティングといったビジネスが発達しています。デパートに入った瞬間に漂ってくる“高級感の香り”、コーヒーショップの焙煎の匂い、ホテルロビー独特の清涼感。あれらは、客の気分を微妙に誘導するために計算されていたりします。香りによって滞在時間が伸びたり、購買行動に影響が出たりという研究結果もあるほどです。もっとも、香りだけで人を意のままに操れるわけではありません。財布の紐が固い人を、どれだけ良い香りで包んでも急に浪費家にはなりませんし、嫌いな仕事が突然好きになることもない。
それでも「気分の下地を整える」くらいの影響は十分にある。マドレーヌによって突然よみがえる記憶は、別に主人公の意思によるものではありません。香りが勝手にスイッチを押しただけです。それと同じように、私たちの日常も“無意識のうちに調整されている状態”は多い。部屋のにおいが好みの香りに変わると作業がはかどったり、逆に嫌なにおいがあると集中が奪われたり。理性的に生きているつもりでも、案外、香りという名の外部刺激に翻弄されているのです。
そして思えば、21世紀の私たちは香りの人工物に囲まれすぎています。柔軟剤、ボディソープ、ヘアミスト、アロマディフューザーなど。十八世紀のパリより、むしろ現代の方がよっぽど“香り依存”なのかもしれない。そう考えると『香水』のグルヌイユは、狂気の殺人者であると同時に、香りが支配する社会の未来像を早めに提示していた存在にも見えてきます。
結局のところ、香りは魔法にはならないが、人の内側を揺らす“きっかけ”にはなり得る。マドレーヌ一つで記憶が蘇るように、香りはときに理性の底に沈んでいた何かをそっと動かす。そう思いながら『香水』を読み返してみると、また新しい匂い――いや、味わいが見つかるはずです。
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