用事があって東京を離れ、しばらく地元の岡山に戻ってくることになりました。というわけで実感するのが、人口密度の低さ。建物の低さ。いえ別に岡山を馬鹿にするつもりはありません。むしろその逆です。たびたびこのブログで書き連ねてきたとおり、私は人間嫌いです。だから新宿とか渋谷の雑踏を見ただけで嫌気がさしてきます。人混みが好きなんだよ、という感性の持ち主とはきっと仲良くなれないはずです。
しかし岡山に戻ると、東京にはないものがたくさんあることに気づきます。当たり前ながらきれいな空気とか、のんびりした時間の流れ方とか。それにランニングをするための環境としては、圧倒的に岡山のほうが上です。東京とくに区部だと普通の道でトレーニングするなんて無理。でも実家の近くなら、川のほとりを往復してみる、という単純極まりない走り方でも10キロくらい当たり前に走れてしまいます。しかも安全に。これってものすごく恵まれていることなんですよ・・・。
それに、岡山の良さは単に“空気がきれい”とか“のんびりしている”といった抽象的な話だけではありません。もっと具体的で、日々の生活を確実に豊かにしてくれる要素がしっかりあります。たとえば移動のしやすさ。東京で電車に乗ると、ちょっとした距離でも満員電車に揉まれ、しかも乗り換えをいくつも挟んでようやく目的地にたどり着く、なんてことは日常茶飯事です。でも岡山では、移動そのものがストレスになりません。どこへ行くにもそこまで混まないし、駅を降りてからも人の流れに追い立てられるような感覚がない。用事そのものよりも“移動の疲れ”が勝ってしまう、あの東京特有の現象とは無縁です。
また、生活リズムの整いやすさという点でも岡山は強い。外を歩けば、余計な刺激が少なく、落ち着いたペースで一日が進みます。夜になれば自然と静かになり、身体もちゃんと休まる。東京はたしかに便利です。深夜でも明るく、探せば何でも手に入る。しかし便利さと引き換えに、休むべきときに休めない“生活のリズムの乱れ”が常につきまといます。岡山に戻るとその反動がよくわかります。「ああ、これは人間が本来持っていたリズムなんだ」としみじみ感じるのです。
そして、岡山で暮らすうえで私がとりわけ魅力だと思うのが、自然と都市機能の距離感のバランスです。東京のように人工物だらけでもなく、地方のように車がないと何もできないほど不便でもない。必要なものは中心部に行けばそろうし、少し郊外へ足を伸ばせばすぐに自然が広がっている。たとえば昼に街中で買い物をしたあと、夕方には山際の道を散歩するとか、川沿いで軽く体を動かすとか、そういう“生活に揺らぎを生む小さな選択肢”が驚くほど豊富です。日常にほんの少し、深呼吸できる瞬間を差し込む。岡山ではそれが難なくできてしまう。
さらに言えば、岡山の人との距離感も心地いい。よそよそしくもなく、かといって踏み込んでくるわけでもない。必要以上に干渉しないのに、困っていれば手を貸してくれる。その中庸のバランスが優れているように思います。東京では、孤独を好む私のような人間にとってはメリットもありますが、それが度を越すとただの“断絶”に変わりかねない。岡山の距離感は、孤独を楽しみつつも社会とのつながりが完全に途切れない、その絶妙な心地よさがあります。
しばらく岡山に戻ってみて、改めて気づかされました。東京には東京の良さがある。でも、私が本当に心穏やかに生活できる場所はどこなのか、という問いに答えるのであれば、岡山のほうがはるかにしっくりくる。人混みに嫌気がさす性格であることを否定するつもりはありません。むしろそんな自分にとって、ここ岡山は“無理をしないで生きられる場所”なのだと、今さらながら実感しているのです。うーん、これでもうちょっと稼げる仕事があれば・・・、というのはないものねだりってやつでしょうか。実際に、東京の賃金の7割から8割が相場。つまり年収マイナス200万くらいは覚悟しなければならない、しかも転職したくなっても次の受け皿を見つけるのが至難の業ってことです。こればかりは辛い・・・。
また、生活リズムの整いやすさという点でも岡山は強い。外を歩けば、余計な刺激が少なく、落ち着いたペースで一日が進みます。夜になれば自然と静かになり、身体もちゃんと休まる。東京はたしかに便利です。深夜でも明るく、探せば何でも手に入る。しかし便利さと引き換えに、休むべきときに休めない“生活のリズムの乱れ”が常につきまといます。岡山に戻るとその反動がよくわかります。「ああ、これは人間が本来持っていたリズムなんだ」としみじみ感じるのです。
そして、岡山で暮らすうえで私がとりわけ魅力だと思うのが、自然と都市機能の距離感のバランスです。東京のように人工物だらけでもなく、地方のように車がないと何もできないほど不便でもない。必要なものは中心部に行けばそろうし、少し郊外へ足を伸ばせばすぐに自然が広がっている。たとえば昼に街中で買い物をしたあと、夕方には山際の道を散歩するとか、川沿いで軽く体を動かすとか、そういう“生活に揺らぎを生む小さな選択肢”が驚くほど豊富です。日常にほんの少し、深呼吸できる瞬間を差し込む。岡山ではそれが難なくできてしまう。
さらに言えば、岡山の人との距離感も心地いい。よそよそしくもなく、かといって踏み込んでくるわけでもない。必要以上に干渉しないのに、困っていれば手を貸してくれる。その中庸のバランスが優れているように思います。東京では、孤独を好む私のような人間にとってはメリットもありますが、それが度を越すとただの“断絶”に変わりかねない。岡山の距離感は、孤独を楽しみつつも社会とのつながりが完全に途切れない、その絶妙な心地よさがあります。
しばらく岡山に戻ってみて、改めて気づかされました。東京には東京の良さがある。でも、私が本当に心穏やかに生活できる場所はどこなのか、という問いに答えるのであれば、岡山のほうがはるかにしっくりくる。人混みに嫌気がさす性格であることを否定するつもりはありません。むしろそんな自分にとって、ここ岡山は“無理をしないで生きられる場所”なのだと、今さらながら実感しているのです。うーん、これでもうちょっと稼げる仕事があれば・・・、というのはないものねだりってやつでしょうか。実際に、東京の賃金の7割から8割が相場。つまり年収マイナス200万くらいは覚悟しなければならない、しかも転職したくなっても次の受け皿を見つけるのが至難の業ってことです。こればかりは辛い・・・。
コメント