あらゆる物事は、始まりがあって、終わりがあります。小説はどこかで完結します。映画もだいたい一作品は2時間くらいの長さです。そして人の生もまた、長く生きられたとしても100年程度でしょう。

ましてやスクールアイドルは、学校を卒業してしまえば「スクール」を名乗ることができません。高校生活は3年間ですからあっという間のこと。彼女たちが舞台で輝くことができる時間は限られています。映画『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第2章』を観て気付かされたのはそのことでした。

あらすじは、この記事を見つけたということは『ラブライブ!』シリーズをおそらく私以上に熟知していらっしゃるということでしょうから、わざわざ言うまでもないでしょう。
一応公式サイトから引用すると、
「今もっとも推せるスクールアイドル」を決めるスクールアイドルGPX(グランプリ)。
沖縄で大きな盛り上がりを見せたこのイベントに参加するため、
時を同じくして、果林、愛、せつ菜、璃奈、栞子、ミアの6人は、もうひとつの会場を訪れていた。

古くからの文化が息づく京都、人情と活気が溢れる大阪、異国情緒漂う港町・神戸。
三都市を舞台に6人は思い思いの活動を開始する。

そんな時、同好会の一員としてスクールアイドルを楽しむミアの前に、姉のクロエ・テイラーが現れる。
一方、限られた時間のなかで理想の存在「優木せつ菜」として活動する中川菜々にはある悩みが――。
同好会メンバーのそれぞれの想いも巻き込み、
スクールアイドルGPXは想定以上の盛り上がりを見せていく……。

12人と一人の少女たちが紡ぐ青春学園ドラマ、第2章。
もうひとつのときめきの物語、開幕――。
このように書かれています。やはり完結編というだけあって、アイドルの「終わり」を意識させるようなエピソードが散りばめられており、一抹の寂しさが胸をよぎります。たとえばミア・テイラーは姉から米国に戻ってはと告げられ、彼女の心は揺れ動いています。そのことが、スクールアイドルは楽しいだけではないのだ、たとえ仲間たちの結束が固くてもいずれそれぞれの道を目指して散りゆく定めにあるのだと示唆しているようではありませんか。

けれど、だからといってその終わりは「虚しさ」だけを残すものではないと私は思います。むしろ、期限があるからこそ、人は今目の前にある瞬間を大切にしようとするのではないでしょうか。スクールアイドルとして活動できる時間が限られているから、彼女たちは毎日の練習に全力を注ぎ、仲間との時間を尊び、一つひとつのステージに心を込めてきたのです。

映画の中で印象的なのは、別れや変化に向き合いながらも、それでも前に進む姿が描かれていることです。せつ菜が抱える「理想の自分」と「本当の自分」の狭間で揺れる葛藤も、ミアが姉との関係を意識しつつ自分の考えとどう折り合いをつけるのか悩む姿も、決して悲劇ではありません。むしろ、それらは「終わりに向かうからこそ生まれる強さ」そのものです。

私たち自身の人生だって同じです。永遠に続くものがないと知っているから、今日という日を特別なものにできる。卒業があるから学園生活は輝くし、退場があるから物語は完結します。もし終わりがないのなら、そこには緊張感も、成長も、決断も生まれないでしょう。

『虹ヶ咲』の物語が教えてくれたのは、決して「終わってしまう」ことを恐れる必要はないということです。終わりは喪失ではなく、次の始まりのための区切りであり、今ここにある瞬間を愛し抜くための合図なのです。だからこそ彼女たちのステージは尊く、美しく、輝いて見えるのでしょう。今を懸命に生きる時間こそが、かけがえのない宝物なのです。さて、第1章沖縄、第2章関西と来て最後は東京。一体どのような結末が私達を待っているのでしょうか・・・。