職場で新しいシステムを導入したら、かえって仕事が増えた――そんな経験をしたことがある人は、けっこう多いのではないでしょうか。私の前の職場もまさにそうでした。労務管理をきっちりやるために導入した勤怠管理システム(ジョ◯カンとかいうやつ)は、一見すると効率化の象徴のように見えましたが、実際にはそのシステムにうまく当てはまらないケースが多く、入力に手間取る人が続出。結局、書類でも記録を残す必要が生じ、二重管理という本末転倒な状態になってしまいました。アホかと。
決裁を電子化したはずなのに、なぜか紙の稟議書も残すことになり、二重の手間が発生する。そんな矛盾もありました。紙でやっていたことが電子化された途端、仕事の進み方が「速く・密に」なり、結果として労働が強化されたように感じたこともあります。
私はその職場を立ち去って別の会社で働くことになりましたが、そもそも効率化のはずが、なぜこうなるのでしょうか。
原因のひとつは、ICT導入が「現場の働き方に寄り添っていない」まま進むことにあります。新システムは往々にして、「こうあるべき業務フロー」を理想形として設計されます。しかし、現実の職場には例外やイレギュラーが山ほどあります。そうした現場の多様性を吸収しきれず、システムに業務を“合わせさせる”形になると、むしろ作業量が増えてしまうのです。本来は省力化のための導入が、入力やチェックの工程を増やし、確認の手間を二重三重にしてしまう。いわば「システムに使われる」状態です。
さらに、DX(デジタルトランスフォーメーション)を前提とした働き方改革にも、こうした逆機能が潜んでいます。本来の目的は「時間と場所に縛られない柔軟な働き方」を実現することですが、実際には「いつでも・どこでも働ける」が「常に仕事から離れられない」につながるケースも多いのです。リモート環境が整うと、深夜や休日でもチャットが飛び交い、レスポンスが早い人ほど「できる人」と見なされる。効率化が進むほど、仕事のサイクルが短縮され、対応スピードが暗黙のうちに求められるようになる。こうして「デジタル=生産性向上」は、「デジタル=労働強化」へとすり替わっていくのです。
もう一つの問題は、データ化による管理の強化です。勤務時間、作業履歴、オンラインのログなど。それらが数値として可視化されると、組織はどうしても「もっと生産性を上げよう」「無駄をなくそう」と圧力をかけたくなります。その結果、評価指標が数値に偏り、過程よりも成果ばかりが重視される。システムの導入が、労働の質や余裕を奪う方向に働いてしまうのです。
こうした現象の背景には、テクノロジー導入が「人間のため」ではなく「管理や効率のため」に偏って進められているという構造的な問題があります。本来、デジタル化は人を楽にするものであるべきなのに、いつの間にか「働く人を測る道具」になってしまっている。しかも、一度システムが定着すると、「元に戻す」ことはほぼ不可能です。だからこそ、導入前に「このシステムは本当に現場を助けるのか」「使う人の手間を減らすのか」を徹底的に検討することが必要です。
ICTやDXが悪いわけではありません。それらは本来、働く人を解放するための手段です。しかし、導入の仕方を誤ると、かえって人を縛り、心身を疲弊させるものになってしまう。私たちは今、「効率化」という言葉の裏側にある、労働の密度化と管理の強化という現実を直視する必要があります。便利になったはずなのに、なぜか以前よりも疲れる・・・。その感覚の正体は、まさにここにあるのだと思います。
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