職場の人から「〇〇大学出身の人でランチ会をやろう」というメールを受信してしまいました。一人ぼっちでいるほうが好きな私にとっては不幸の手紙に等しいです。

「行きたくありません」

なんて返事できるはずもないので、思っていることとは真逆の「楽しみにしています! ありがとうございます!!」などと答えてしまいました。

そして迎えたランチ会当日は月曜日。なんと私は土曜になった時点で「うう、嫌だ、ランチ会は嫌だランチ会は嫌だ」と、スリザリンは嫌だみたいなことをずっと考えていました。そして月曜の昼食会。都心の百貨店みたいなところのレストラン街みたいなエリアに向かいます。そういう行動をしている時点でまず私らしくありません。友だちいない研究所の運営者としては、陰キャの昼食はもっと根暗な雰囲気であるべきです。

そして他の人と「久しぶりに大学の近くに行ったら、知っている店がほとんどなくなっていて風景が一変していた」ともっともらしいことを言う私。人と会話なんてしたくないんですけどね・・・。

そこから先も、なんとか会話の波に乗るふりをしている自分がいました。大学の話題はとにかく無難です。教授の名前を出したり、昔のゼミの話をしたり。私自身は正直、大学時代のことなんて記憶が霞がかっていて、それを懐かしむような気持ちもほとんどありません。むしろ、あの頃から人と関わるのが苦手で、だから図書館などでひっそりと過ごしていたのに、なぜ今さら「同じ大学」というだけで強制的に再び結び付けられねばならないのか。社会人になると、出身大学という属性がやけに再利用される場面があって、それが私にとっては窮屈でたまらないのです・・・。

料理はまあ普通に美味しいです。「これおいしいですね」、それに笑顔でうなずき返す自分がいるわけです。心のなかでは「他人のうどんなんて気にしたことないけど」と思いつつも、会話のテンションを壊さないための仮面をかぶる。まるで役者。役者といっても、演技力は最低レベルで、ただ周囲の空気に同調するためだけの即興芝居でした。

それでも場は和やかに流れていく。仕事の話題になれば「こういうことをやってまして」と適当に相槌を打ちます。旅行の話題になれば「いいですね」と返す。そこに本心はほとんどなく、ただ「人間社会における最低限の交流ノルマを達成している」感覚しかないのでした。自分が自分であるというより、社会人としての雛形に体を押し込められているようで、息苦しささえ覚えます。


店を出て職場に戻る帰り道、時間を損したという気持ちになりました。たかが一時間程度のランチで、どうしてこんなにぐったりするのか。おそらく、ずっと自分ではない何者かを演じていたからでしょう。社交的な同窓生を装い、会話を楽しんでいるように見せ、笑顔を絶やさずにいたのです。だが内心では「早く一人になりたい」とだけ考えていました。

そして今、こうしてブログに書き残しているのです。なんて根暗な。結局のところ、私は人と一緒にいるのが苦手なまま社会に放り込まれた人間で、どんなに外面を取り繕っても、転職しても引っ越しても、その本質は変わらないのです。むしろ「本質を隠しながら生きること」こそが最大の疲労を生むのだと痛感します・・・。