国立新美術館で開催中の「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」。高級アクセサリーなんて普段まじまじと見ることがないだけに、自分にとっては目新しい体験でした。そもそも会場設計自体が、色彩の動きや変化を見せる“舞台装置”のように機能しており、ジュエリー展示との対話を強めていたように思います。
第1章「色彩の革命」では、ブルガリが従来のハイジュエリーの枠を超えて、色石を大胆かつ自由に用いた革新的な試みを辿る展示がなされていました。例えば、1940年頃のシトリンを配したブレスレット、1950年代のサファイア・ルビー・ダイヤモンドを組み合わせたバングル、さらにはカボションカットのアメシストやターコイズを鮮やかに使ったネックレスなど。従来あまり注目されなかった半貴石を効果的に配したデザインに、私は“色彩への恐れなき挑戦”を強く感じました。
第2章「色彩の象徴性」では、色が文化・象徴として持つ意味や感情伝達に注目した作品が揃っていました。「セルペンティ」シリーズのネックレスにおけるエナメル加工や、希少なジェイドを用いたジュエリー、「セブン・ワンダーズ」と称される7つのエメラルドを配した伝説的なネックレス(1961年)などを通じて、色がもたらす物語性が浮かび上がります。
第3章「光のパワー」は、色というものがそもそも“光あってこそ知覚されるもの”であるという本質に迫る展示でした。銀・金属の反射性、ファンシーカラーダイヤモンドや真珠などの特殊素材、そして1969年頃に制作された「コンバーチブル・ソートワール=ブレスレット」といった作品の“光と色の競演”が、この章のクライマックスです。
私自身、普段はジュエリーを専門的に見る機会はあまりないのですが、この展覧会を通じて「色を纏うこと」の贅沢さと深みを実感しました。技術、素材、デザイン、文化の歴史、そして光という根源的要素を横断する構成は、単なる“きらびやかな宝石展”ではなく、色彩を通じて人々の感性を揺さぶる総合芸術体験でした。
強いて気になった点を挙げるとすれば、これはあくまでもアクセサリーつまり人間が身につけるものだということ。ゆえに、彫刻とか絵画のような巨大さはありません。となると、混雑してくると鑑賞環境が微妙なものになります。ゆっくり見たい作品の前では、やや距離を取らざるを得なかった場面もありました。ただ、それを考慮して全体の導線や見せ場の配置も良く工夫されていたと感じます。
最後に、展示室を出たあとに設けられた映像・インタラクティブな空間やミュージアムショップを含めた体験設計も好印象でした。展覧会の余韻を引きずりつつ、自分の色彩の好みを再確認するような時間を持てたのは、展示全体の構成が巧みだったからこそでしょう。
総じて言えば、「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」は、色彩と素材、技術と文化、そして光と空間をめぐる豊かな対話に満ちた展覧会でした。ジュエリーやデザインに関心のある方はもちろんのこと、「色とは何か」に興味を持つ方すべてにとって、心を揺さぶられる体験になる展覧だと強く感じます。
強いて気になった点を挙げるとすれば、これはあくまでもアクセサリーつまり人間が身につけるものだということ。ゆえに、彫刻とか絵画のような巨大さはありません。となると、混雑してくると鑑賞環境が微妙なものになります。ゆっくり見たい作品の前では、やや距離を取らざるを得なかった場面もありました。ただ、それを考慮して全体の導線や見せ場の配置も良く工夫されていたと感じます。
最後に、展示室を出たあとに設けられた映像・インタラクティブな空間やミュージアムショップを含めた体験設計も好印象でした。展覧会の余韻を引きずりつつ、自分の色彩の好みを再確認するような時間を持てたのは、展示全体の構成が巧みだったからこそでしょう。
総じて言えば、「ブルガリ カレイドス 色彩・文化・技巧」は、色彩と素材、技術と文化、そして光と空間をめぐる豊かな対話に満ちた展覧会でした。ジュエリーやデザインに関心のある方はもちろんのこと、「色とは何か」に興味を持つ方すべてにとって、心を揺さぶられる体験になる展覧だと強く感じます。

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