私は人間嫌いです。人がいるとそれだけでなんだかイライラしたりと、気持ちが不安定になります。だから人がたくさんいるところは少しでも早く離脱しようとして、陰キャ歩き(と私は呼んでいる)をしてしまいます。陰キャ歩きというのは、なるべく直線で、シャカシャカと素早く歩くことを指します。そうすれば少しでも早く人混みから抜けられるからです。
そんな私に転機が訪れました。諸事情があって16年近く勤め、また住んでいた多摩地方を離れ、都心に引っ越して仕事も変わりました。今にして思えば早まった決断だったかもしれません。たとえ好きではない職場であったとしても、長期にわたってそこにいたということは、私のような人物でもそれなりに人間関係があって、その地域に思い出がたくさん詰まっているということ。そこからあえて自らの意志で離れるというのはそうとう重い決断でした。
そして引越し後に悟りました。私は人間嫌いであっても、じつは周りの人間関係が心の支えになっていたことを。それがなくなった今、心の中にポッカリ穴が空いていること。引越し後の町は交通量が多くてうるさく、馴染めそうにないこと。転職は決断ミスだったのではないか?
それでも時間は止まってはくれません。新しい生活は否応なく始まり、私は日々の仕事に追われながらも、どこか自分が「ここに居場所を持てていない」という感覚にさいなまれています。以前の職場では、人付き合いが苦手な私でも、長い年月の中で自然と築かれた人間関係がありました。たとえ深い交流ではなくても、顔を合わせれば軽く会釈を交わしたり、同じ空間を共有するだけで「自分が社会に属している」という安心感がありました。その存在を軽く見ていたことに、いまさら気づかされます。
都心の雑踏の中では、その小さな安心感すら得られません。すれ違う人々は互いに無関心で、私もまた人混みを避けるように早足で歩くばかりです。孤独を選んだはずなのに、いざ孤独が強まると不安が押し寄せてきます。皮肉なものです。
ただ、こうして環境が一変したからこそ、自分にとって何が大切なのかを見直す機会になっているとも思います。人間嫌いを公言してきた私ですが、結局のところ私は「人間がいなくても生きていける」わけではないのです。むしろ、距離を取りつつも人とのつながりに支えられていたのだと痛感します。
だからこそ、これからの課題は「自分にとって心地よい距離感を保ちながら、どう人と関わっていくか」を探ることだと思います。いきなり人付き合いを増やす必要はありません。まずは日々の中で小さな交流を大切にすること、たとえば近所の店員に挨拶してみるとか、同僚と一言二言でも言葉を交わすとか、そうした些細な積み重ねを通じて、再び自分の居場所を見つけたいのです。
引っ越しと転職が本当に失敗だったかどうか、答えはまだ出ていません。けれど、この選択によって自分の弱さや本当の望みが見え始めていることは確かです。人嫌いの私が人との関わりをどう折り合いをつけていくか。その過程こそ、これからの生活の中心になるのだと思います。・・・うーん、ある意味、マイナスをゼロに埋め戻すということですね・・・。
都心の雑踏の中では、その小さな安心感すら得られません。すれ違う人々は互いに無関心で、私もまた人混みを避けるように早足で歩くばかりです。孤独を選んだはずなのに、いざ孤独が強まると不安が押し寄せてきます。皮肉なものです。
ただ、こうして環境が一変したからこそ、自分にとって何が大切なのかを見直す機会になっているとも思います。人間嫌いを公言してきた私ですが、結局のところ私は「人間がいなくても生きていける」わけではないのです。むしろ、距離を取りつつも人とのつながりに支えられていたのだと痛感します。
だからこそ、これからの課題は「自分にとって心地よい距離感を保ちながら、どう人と関わっていくか」を探ることだと思います。いきなり人付き合いを増やす必要はありません。まずは日々の中で小さな交流を大切にすること、たとえば近所の店員に挨拶してみるとか、同僚と一言二言でも言葉を交わすとか、そうした些細な積み重ねを通じて、再び自分の居場所を見つけたいのです。
引っ越しと転職が本当に失敗だったかどうか、答えはまだ出ていません。けれど、この選択によって自分の弱さや本当の望みが見え始めていることは確かです。人嫌いの私が人との関わりをどう折り合いをつけていくか。その過程こそ、これからの生活の中心になるのだと思います。・・・うーん、ある意味、マイナスをゼロに埋め戻すということですね・・・。
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