東京都美術館で開催中の「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」。これは、主にアムステルダムのゴッホ美術館の展示作品から構成されており、ゴッホ家が受け継いできたファミリー・コレクションに焦点を当ています。
実は私は今年の6月にアムステルダムを訪れ、ゴッホ美術館にも足を運んでいました。このため短期間に2度同じ作品を見たことになります。たしか、「ヴィーナスのトルソ」をすこし肌寒い展示室内で見ていたはず・・・。見覚えがある・・・。うっすらとしか思い出せないのは情けない限りですが。
生前には自分の作品は数枚しか売れなかったゴッホ。しかし死後急速に名声が高まります。その陰には、彼の作品の価値を伝えようとした家族の絆がありました。そのことに光を当てた今回の展覧会は、まずはゴーガンやマネといった、ゴッホ美術館に収蔵されているゴッホ以外の作品から始まります。そしてその中には歌川広重らの浮世絵も含まれます。
そして第3章からはゴッホの遺した作品の数々が展示されています。改めて、この展覧会の大きなテーマは「家族がつないだ画家の夢」です。弟テオの死後、妻ヨーが作品を守り、その価値を伝え続けました。さらに甥のフィンセント・ウィレムによって体系的に公開の場が整えられ、やがてゴッホ美術館の設立に至りました。作品の保存と普及の陰に、家族の強い絆と尽力があったことに気づかされます。
作品を鑑賞する中で、たとえば「画家としての自画像」を見ると、単に色彩や筆致に注目するだけでなく、裏側にある物語や家族による伝承を意識せずにはいられませんでした。赤いヒゲや淡い灰色の顔つきが描かれたその表情は、画家自身の葛藤や自己意識を映し出しており、より深い共感を呼び起こします。
また、「木底の革靴」や「オリーブ園」のような作品を眺めていると、改めて彼は日常風景を題材に深い表現を追い求めていたのだということが実感されます。そういえば、ゼウスとかアポロンのようなギリシャ神話や、古代ローマ皇帝とか、あるいはフランス革命とかいった題材はゴッホからものすごく遠いところにありますね。つまりは彼のベクトルは身近なもの・風景をもとに光とか色、筆致を工夫していくことにあったのだということが伺い知れます。
さらに本展にはイマーシブ・コーナーも設けられていました。巨大モニターで作品を高精細に映し出したり、アニメーションによって筆致や絵具の盛り上がりを体感できたりする仕掛けは、通常の鑑賞では気づきにくい要素を教えてくれました。作品を「見る」体験から「感じ取る」体験へと広げる工夫があり、鑑賞をより豊かなものにしてくれると感じました。
作品は固定された遺産ではなく、鑑賞のたびに新しい問いを投げかけてくれる存在です。ゴッホの絵を二度目に見ることで、私は「この線や色彩の重なりを自分はどう受け止めるのか」という問いを新たに得ました。家族の支えとともに受け継がれたその作品群は、単なる美術品ではなく、今を生きる私たちに語りかけてくる大切な遺産だと感じました。
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