フランスの画家モーリス・ユトリロは、20世紀前半のパリを舞台に活躍した画家として、独自の存在感を放っています。彼の魅力は単に技巧の確かさにとどまらず、その生き方や背景、そして描かれた街並みの情緒に深く結びついています。彼は印象派やキュビスムといった前衛的な流れに属するのではなく、自らの孤独や苦悩を抱えながら、ひたすらモンマルトルを中心とした風景を描き続けました。その姿勢はむしろ純粋さを感じさせ、観る者に特別な印象を与えます。

そんなことをなぜ書いたか。答えは簡単でSOMPO美術館で開催中の、彼の展覧会に足を運んでもう少し掘り下げて考えてみたくなったから。時代的には印象派とかキュービズムとか、そういうものと重なっていたのですが、これらを思わせる画風ではありません。彼の作品には、やはり彼独特の世界が拡がっています。

ユトリロの作品にまず感じられるのは、白を基調とした独特の色彩です。彼は「白の時代」と呼ばれる時期に、多くの建物を淡い灰色や白を主体に描きました。この色彩は一見すると地味に見えるかもしれませんが、実際には独特の静けさと深い情緒をもたらします。パリの街角や古い教会、石畳の道が、彼の筆によってしんとした空気に包まれ、時間が止まったかのような感覚を与えるのです。そこには喧騒や華やかさはなく、むしろ人々の営みの裏にある孤独や静寂が映し出されています。その抑制された色調こそが、ユトリロの画風を特別なものにしています。

また、ユトリロはモンマルトルという土地に強い愛着を持っていました。ラパン・アジルをはじめとするカフェや酒場、教会や住宅など、モンマルトルの風景は繰り返し描かれています。彼が何度も同じ建物や通りを題材にしたのは、単なる写生ではなく、その場所が持つ空気を自分の内面と重ね合わせていたからでしょう。例えば、彼が繰り返し描いたラパン・アジルの外観には、建物そのもの以上に、そこに集った人々の記憶や、画家自身の孤独な心情が滲み出ています。風景画でありながら、彼自身の心の肖像画のようにも見える点が、ユトリロの魅力の一つなのです。

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さらに注目すべきは、ユトリロの生き方と芸術との関わりです。彼はアルコール依存に苦しみ、母との複雑な関係の中で生涯を過ごしました。アルコールのせいで、彼は入院までしています。ということは相当だぞこりゃ・・・。彼の母は同じく芸術家であるスザンヌ・ヴァラドンで、彼女から絵を描くことを勧められたことが画業の出発点となりました。絵を描くことは、彼にとって自己表現であると同時に、精神の均衡を保つための手段でもあったといえます。そのためユトリロの絵には、技巧や理論以上に切実な生きる証が込められており、観る人の心を直接揺さぶるのです。

ユトリロの作品には、華やかな芸術運動に参加しなかった孤高の画家としての強さと弱さが同居しています。彼の街並みには人影が少なく、どこか寂しさが漂っていますが、その寂しさは観る者に寄り添い、心の奥に静かに響いてきます。現代の私たちが彼の作品に魅かれるのは、そこに一人の人間の正直な感情が封じ込められているからではないでしょうか。時代を超えて伝わる普遍的な感覚が、ユトリロの作品の根底にあるのです。

このように、モーリス・ユトリロの魅力は、彼の色彩感覚や題材への愛着、そして生涯にわたる苦悩と真摯な表現にあります。華やかさよりも静けさを、技巧よりも誠実さを、そして明るさよりも陰影を大切にした彼の作品は、私たちに人間存在の深みを思い起こさせます。ユトリロを味わうことは、絵画を通して人生そのものの孤独や希望に触れる体験といえるのです。