クラシック音楽を聴き始めると、まずはモーツァルトやベートーヴェン、あるいはショパンやチャイコフスキーのような作曲家に親しむことが多いと思います。彼らの作品は旋律が美しく、わかりやすい感情の起伏を備えており、初めてのリスナーにも比較的入りやすい世界を提供してくれます。ところが、20世紀に活躍したセルゲイ・プロコフィエフの作品に触れたとき、多くの人が「ちょっと難しい」「なんだか冷たい」といった印象を受けることが少なくありません。私もいまいち好きになれません。という話をヴァイオリンの先生にしたらやっぱり先生も苦手だそうです。そらそうよ。

・・・ではなぜ、プロコフィエフの音楽はとっつきにくいと感じられるのでしょうか。

まず第一に挙げられるのは、彼の独特な旋律の扱いです。プロコフィエフはしばしば「鋼鉄の旋律」と呼ばれるような硬質で角張ったメロディを書きました。たとえばピアノ協奏曲や交響曲に出てくるテーマは、どこか機械的で、耳に心地よいというよりは鋭く切り込んでくるような印象を与えます。私たちが「歌心」として親しんできたロマン派の旋律とは質感が大きく異なるため、どうしても距離を感じてしまうのです。

第二に、リズムの扱いが複雑で予測しにくいという点があります。プロコフィエフの作品には、わざとアクセントをずらしたり、不規則なリズムを織り込んだりする部分が頻繁に登場します。聴き手が「ここでこう展開するだろう」と予想しているところで、あえて裏切るような動きを見せるのです。もちろんそれが彼の音楽のユーモアであり魅力なのですが、初めて接する人にとっては「落ち着かない」「わかりにくい」と感じられる原因になります。

第三に、和声感の独特さがあります。プロコフィエフは完全に無調へ突き進んだストラヴィンスキーやシェーンベルクとは異なり、基本的には調性を保ちながらも、強烈な不協和音を大胆に取り入れました。つまり、聴きやすさと尖鋭さの中間を行く作曲家なのです。この「どちらにも属さない」曖昧さが、逆にとっつきにくさを生んでいます。美しいメロディを期待して聴くと、突然刺々しい和音が襲ってくる。かと思えば、無機質な音列のあとに、驚くほどロマンティックな旋律が顔を出す。その落差に戸惑ってしまうのです。

さらに忘れてはならないのが、プロコフィエフ特有の「皮肉なユーモア」です。彼は童話的な題材を好んで扱い、『ピーターと狼』やバレエ音楽『ロメオとジュリエット』など、親しみやすい作品も数多く残しています。しかしその裏側には、しばしば人をからかうような皮肉や、わざとぎこちなくしたリズム、どこか冷笑的な和声が隠されています。聴き手が純粋に感情移入しようとすると、その皮肉めいた響きに遮られてしまい、「素直に感動できない」と感じることもあります。

このように、プロコフィエフの音楽がとっつきにくい理由は、旋律の硬質さ、リズムの不規則さ、和声の鋭さ、そして皮肉なユーモアといった要素が複雑に絡み合っているからです。しかし、裏を返せばそれこそが彼の個性であり魅力でもあります。一度慣れてしまえば、その「鋭さ」や「裏切り」がむしろスリルとなり、他の作曲家にはない独自の世界へと引き込んでくれます。

おすすめの入り口としては、やはりバレエ音楽『ロメオとジュリエット』や組曲『キージェ中尉』など、物語性のある作品を聴くことです。劇的な展開と親しみやすい旋律が随所に現れるので、プロコフィエフの多面的な魅力を体験することができます。最初は難しくても、聴き重ねるうちに「なるほど、こういう風に皮肉を込めているのか」とか「この不協和音があるからこそ次の旋律が際立つのか」といった気づきが増えてきます。

プロコフィエフは、最初の一歩ではややとっつきにくい作曲家かもしれません。しかし一度慣れてしまえば、そのユーモアと鋭さが癖になり、気づけば他の作曲家では物足りなくなってしまうかもしれません。私はそんなこと言ってる人に一度も会ったことがないですが。・・・だって、そんなのに無理して慣れなくてもモーツァルトとかブラームスとか、親しみやすい作品が山のようにあるわけですから。

・・・かくて、プロコフィエフとはいつまでも打ち解けられないのである。