CDの黄金時代は1990年代後半と言われています。当時、GLAYとか安室とかジュディマリがやたらとヒットしてアルバムが100万枚以上売れたりしていました。今では考えられません。たしか当時はCDを買うという行為自体がおしゃれだとみなされていたようです。たしかに、あの謎めいた未来を予感させる色合いの円盤は当時としてみればとても斬新に見えたことでしょう。そしてわずか十数年後には一気に廃れてしまい、握手券つき円盤などと呼ばれる日が来るなんて誰が予想したでしょうか。

一方、クラシックであれば一万枚売れれば大ヒットと言われるのもまた事実。聴く人が少ないからですね。まさにGLAYがヒットしていたころ、私はブルッフのヴァイオリン協奏曲とかスコットランド幻想曲を知り、何度も繰り返し繰り返し聴いていました。結果、誰とも話が合わなくなり友だちいないぼっちになりました。自分が根暗な感じになるのは当時からそういう運命だったのでしょう。

というわけでクラシックのCDは作っても200~300枚くらいしか実際に出荷されない場合もあるようです。しかし1,000枚はプレスしないと元が取れないので、残りはピアニストなりヴァイオリニストなり本人が買い取ることになります。そして弟子に買わせるか、コンサートのときにサイン会を開いてなんとかして売ることになります。辛い。

CDの在庫を抱えるというのは演奏家にとって心理的にも経済的にも重荷です。とくにクラシック界はポップスのようにマス向けの宣伝媒体があるわけでもなく、ラジオやテレビに流れることはほとんどありません。結局は口コミと限られた専門誌のレビュー、そして演奏会での直接販売が命綱となります。しかもクラシックの聴衆というのは、すでに名盤と呼ばれる過去の巨匠たちの録音をいくつも所有している人が多いので、新しい盤を買おうという動機が生まれにくい。つまり市場が小さく、しかも飽和しているのです。

それでもなぜ演奏家はCDを作るのかといえば、やはり自分の名刺代わりだからです。音楽家にとって録音物は、営業ツールであり、自己表現の証明書のようなもの。オーケストラとの共演や海外の音楽祭に応募する際、履歴書だけでは弱いけれど「自分の演奏がこういう形で残っている」と提示できれば説得力を持ちます。また、CDがあることで演奏会のプログラムに説得力を持たせたり、ファンとの接点を深める役割も果たします。つまり売上だけを目的とするのではなく、存在証明として作られるのです。

もっとも、近年ではストリーミング配信が広まり、録音を世に出す手段は格段に増えました。SpotifyやApple Musicに登録してしまえば、プレスの必要も在庫リスクもありません。しかし、ここにも落とし穴があって、クラシックはアルゴリズムに乗りにくく、再生数が伸びにくい。結果、印税はほぼゼロに等しい。つまりCDを作っても赤字、配信しても雀の涙、という厳しい状況は変わらないのです。

それでも演奏家は音を形に残すことをやめないでしょう。そこには芸術家としての矜持があるからです。たとえ1,000枚刷って700枚が自宅とか倉庫とかに眠るとしても、その300枚の中で誰かの心を打つ一枚があれば、存在意義はあるのだと信じているのです。(無いかもしれんけど。)


参考文献