自らもアウシュヴィッツ強制収容所からの生還者であるプリーモ・レーヴィの『これが人間か』を読んでみると、過酷な生活の実態が浮かび上がってきます。この強制収容所には、欧州各地から、つまりドイツの占領地域からユダヤ人が集められ、結果的にいろいろな人材(?)が集っていたようです。レーヴィによると、
一四一五六五番のエリアス・リンジンはある日、何の理由もなしに、突如化学コマンドーに入ってきた。彼は小人で、背たけは一メートル半もなかったが、あれほどの筋肉の持ち主は見たことがない。裸になると筋肉の一本一本が、皮膚の下で、別の命を持った生き物のように、力強く自在に動くのがはっきり見えるのだ。比率を変えずに体だけ大きくし、頭を取ってしまったら、ヘラクレスのいいモデルになることだろう。(中略)エリアスの働きぶりを見ると、めんくらってしまう。ポーランド人やドイツ人の監督たちも立ち止まって、エリアスの働きぶりを感心しながら眺めている。彼には不可能なことは何一つないように見える。私達だったらセメント一袋がやっとなのに、エリアスは二つ、三つ、四つと持ち、どうするのか、うまくバランスをとって、ずんぐりした短い足でとことこと歩き、重さに顔をしかめながらも、笑い、罵り、叫び、息もつかずに歌う。(プリーモ・レーヴィ『これが人間か』より)
囚人にはろくな食料が与えられなかったのに、この肉体というのはかなり不思議です。レーヴィの描写から浮かび上がるのは、飢餓と過労にさいなまれる収容所において、なお驚異的な肉体的能力を発揮する人物の存在です。彼が属していた「コマンドー」とは、強制収容所内の作業部隊を指す言葉で、囚人たちはグループごとに分けられ、外部での肉体労働や施設内での修理、また特定の工場での作業などに従事させられていました。つまり「コマンドー」とは軍事的な特殊部隊の意味ではなく、収容所労働を担う囚人組織の呼称だったのです。
その中でエリアスのような人物が目立ったのは、あまりにも対照的な環境にあったからでしょう。大多数の囚人は一日に配給されるわずかな黒パンと薄いスープだけで体力を消耗し、皮膚は骨に張り付き、歩くのもやっとという状態でした。にもかかわらず、エリアスはそれを超えて力を発揮し、監督たちをも感心させるほどの働きを見せたのです。これは単なる個人の体力というより、生まれ持った体質や、強烈な生存本能の発露だったのかもしれません。
しかし、レーヴィが強調するのは「例外」としてのエリアスです。彼の姿は確かに驚異的で、仲間の囚人に一瞬の希望や笑いをもたらしたかもしれませんが、それは全体像を覆い隠すものではありません。ほとんどの囚人にとって、コマンドーでの作業は生き延びるための消耗戦であり、食糧不足と苛烈な環境の中で少しずつ命を削られていく現実でした。エリアスの超人的な肉体は、その極限状況を際立たせる鏡のような存在だったともいえるのです。しかし、あまり食べなくてもこれほどまでに体が動かせるというのは燃費が良すぎます。プリウスか!?
その中でエリアスのような人物が目立ったのは、あまりにも対照的な環境にあったからでしょう。大多数の囚人は一日に配給されるわずかな黒パンと薄いスープだけで体力を消耗し、皮膚は骨に張り付き、歩くのもやっとという状態でした。にもかかわらず、エリアスはそれを超えて力を発揮し、監督たちをも感心させるほどの働きを見せたのです。これは単なる個人の体力というより、生まれ持った体質や、強烈な生存本能の発露だったのかもしれません。
しかし、レーヴィが強調するのは「例外」としてのエリアスです。彼の姿は確かに驚異的で、仲間の囚人に一瞬の希望や笑いをもたらしたかもしれませんが、それは全体像を覆い隠すものではありません。ほとんどの囚人にとって、コマンドーでの作業は生き延びるための消耗戦であり、食糧不足と苛烈な環境の中で少しずつ命を削られていく現実でした。エリアスの超人的な肉体は、その極限状況を際立たせる鏡のような存在だったともいえるのです。しかし、あまり食べなくてもこれほどまでに体が動かせるというのは燃費が良すぎます。プリウスか!?
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