バッハの音楽。それは謹厳実直というか整然というか、音がきっちりと並んでいてどことなく生硬でもあり、精巧でもあります。ワーグナーとかマーラーみたいに大きな感情の揺れがない一方、常に一定で流れていくさまは、好きな人にはたまらないでしょう。私は実際にヴァイオリン協奏曲を演奏してちょっと辟易していました。
ところがこれが案外精神安定剤の役割を果たすのです。通勤電車のなかでノイズキャンセリングイヤホンをして、バッハの音楽を聴く。会社に向かうときも、また帰宅するときもバッハ。整然たる音の運びが、気持ちを整えてくれるのです。「インヴェンションとシンフォニア」とか「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」「ゴルトベルク変奏曲」などまさにその典型。
バッハを聴いていると、感情を直接的に揺さぶられることは少ないかもしれません。けれども、その「揺さぶられなさ」が、むしろ大きな意味を持つのだと感じるのです。たとえば仕事で嫌なことがあった日。ワーグナーやマーラーのように激情型の音楽を聴くと、かえって心のざわめきが増幅されてしまうことがあります。ところがバッハの場合、音は淡々と進みます。主題が提示され、模倣され、重なり合い、再び回帰していく。そのプロセスはあたかも自然の摂理のようで、余計な感情をそぎ落とし、気持ちを「基準値」に戻してくれるのです。
特に通勤電車のような閉ざされた空間では、他人の話し声や車内アナウンス、時には不快な物音が否応なしに耳に飛び込んできます。そこでノイズキャンセリングを使い、バッハを流す。すると雑音はすっと背景に退き、目の前に立ち現れるのは幾重にも組み合わさった音の線。そこに身を委ねると、まるで周囲の喧噪が別世界に移ったかのように錯覚します。私はしばしば「音の迷宮を歩いている」と感じるのですが、不思議と出口が見えなくなることはありません。必ず秩序のある着地点へと導かれるのです。
バッハの音楽には「対位法」という緻密な技法が多用されています。旋律同士が互いに絡み合いながら、それでいて決して衝突せず、全体の調和を保ち続ける。その構造美を耳で追っていると、混乱の中にも秩序があるのだと気づかされます。人間関係や職場の状況に苛立つときでさえ、バッハを聴くと「すべてには位置づけと役割がある」と思えてくるのです。まるで音楽が無言のうちに人生の指針を示してくれているかのようです。
また、バッハの作品群は驚くほど多彩でありながら、その根底にある秩序感は共通しています。インヴェンションやシンフォニアを聴けば、小さなスケールの中に明快な論理展開を見出せます。無伴奏ヴァイオリン・ソナタやパルティータでは、ひとりの楽器から紡がれる複数声部の響きが「孤独の中の充実」を教えてくれます。さらに「ゴルトベルク変奏曲」になると、30もの変奏が延々と繰り返されるのに、聴いていて不思議と退屈しません。むしろ一歩引いて聴くことで、繰り返しの中に多様性があり、変化の中に一貫性があることを実感するのです。これは人生や日常のリズムそのものに似ているように思います。
モーツァルトを聴くと頭が良くなるとか集中力が高まるとかいう話が有名ですが、少なくとも私においてはバッハ効果と呼びたくなるような作用が確かに存在するのです。私の場合、仕事前に聴くと心の準備運動のようになり、帰宅時に聴けば一日の緊張を整理整頓してくれる。つまり、出勤時には「これから」に備え、帰宅時には「今日」に区切りをつけてくれる、そんな役割を果たしているのです。
考えてみれば、バッハが生きた18世紀は今よりもはるかに不安定な時代でした。戦争もあれば疫病もある。それでも彼は教会や宮廷で日々淡々と音楽を書き続けました。その精神の基盤には信仰があったのだと思いますが、信仰心を持たない現代人にとっても、その音楽は「揺らぎないもの」に触れる手がかりとなります。大きな喜びや悲しみを表現するのではなく、日常の営みを静かに支える音楽。それがバッハなのです。
だからこそ私は、電車の中でひとりイヤホンを耳にしながら、バッハの均整の取れた音に浸ることを欠かせません。仕事で疲れていても、人間関係に悩んでいても、音楽は決して大げさに共感したり慰めたりせず、ただ揺るぎない秩序を示してくれる。その冷静さ、あるいは淡白さにこそ、現代社会を生き抜く私たちが求めている「安定の感覚」があるのだと思うのです。
特に通勤電車のような閉ざされた空間では、他人の話し声や車内アナウンス、時には不快な物音が否応なしに耳に飛び込んできます。そこでノイズキャンセリングを使い、バッハを流す。すると雑音はすっと背景に退き、目の前に立ち現れるのは幾重にも組み合わさった音の線。そこに身を委ねると、まるで周囲の喧噪が別世界に移ったかのように錯覚します。私はしばしば「音の迷宮を歩いている」と感じるのですが、不思議と出口が見えなくなることはありません。必ず秩序のある着地点へと導かれるのです。
バッハの音楽には「対位法」という緻密な技法が多用されています。旋律同士が互いに絡み合いながら、それでいて決して衝突せず、全体の調和を保ち続ける。その構造美を耳で追っていると、混乱の中にも秩序があるのだと気づかされます。人間関係や職場の状況に苛立つときでさえ、バッハを聴くと「すべてには位置づけと役割がある」と思えてくるのです。まるで音楽が無言のうちに人生の指針を示してくれているかのようです。
また、バッハの作品群は驚くほど多彩でありながら、その根底にある秩序感は共通しています。インヴェンションやシンフォニアを聴けば、小さなスケールの中に明快な論理展開を見出せます。無伴奏ヴァイオリン・ソナタやパルティータでは、ひとりの楽器から紡がれる複数声部の響きが「孤独の中の充実」を教えてくれます。さらに「ゴルトベルク変奏曲」になると、30もの変奏が延々と繰り返されるのに、聴いていて不思議と退屈しません。むしろ一歩引いて聴くことで、繰り返しの中に多様性があり、変化の中に一貫性があることを実感するのです。これは人生や日常のリズムそのものに似ているように思います。
モーツァルトを聴くと頭が良くなるとか集中力が高まるとかいう話が有名ですが、少なくとも私においてはバッハ効果と呼びたくなるような作用が確かに存在するのです。私の場合、仕事前に聴くと心の準備運動のようになり、帰宅時に聴けば一日の緊張を整理整頓してくれる。つまり、出勤時には「これから」に備え、帰宅時には「今日」に区切りをつけてくれる、そんな役割を果たしているのです。
考えてみれば、バッハが生きた18世紀は今よりもはるかに不安定な時代でした。戦争もあれば疫病もある。それでも彼は教会や宮廷で日々淡々と音楽を書き続けました。その精神の基盤には信仰があったのだと思いますが、信仰心を持たない現代人にとっても、その音楽は「揺らぎないもの」に触れる手がかりとなります。大きな喜びや悲しみを表現するのではなく、日常の営みを静かに支える音楽。それがバッハなのです。
だからこそ私は、電車の中でひとりイヤホンを耳にしながら、バッハの均整の取れた音に浸ることを欠かせません。仕事で疲れていても、人間関係に悩んでいても、音楽は決して大げさに共感したり慰めたりせず、ただ揺るぎない秩序を示してくれる。その冷静さ、あるいは淡白さにこそ、現代社会を生き抜く私たちが求めている「安定の感覚」があるのだと思うのです。
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