引っ越ししてから新たにヴァイオリンの先生を見つけて、パガニーニの「カンタービレ」という曲をとりあえず弾いてみたところ、「表現について考慮していない」との指摘がありました。フォルテとかピアノとかの表情などについて私はそこまで考えて弾いていなかったようです。そう言われてみれば「とりあえず弾けたからよかったね」というスタンスでした。あまり自覚していませんでしたがそういうふうに聞こえたということはそうなのでしょう。
というわけでその先生から出された課題曲がまさかのザイツ!! 大昔に弾いていたやつにまた戻ってきてしまいました。この調子だとブラームスのヴァイオリン・ソナタにたどり着くころに私は寿命を迎えてしまうのでしょう・・・。
しかし淡々と弾きすぎているということは集合住宅で練習しているから必然的にそうなってしまうのでしょうか。あるいは集合住宅でも音を小さめにして練習すればある程度は解消されるものなのでしょうか。先生曰く、弓の使い方を半分程度に抑えて家で練習するという方法もあるようです。
ヴァイオリンという楽器は、ただ音を正しく出すだけでは決して十分ではないのだと、改めて思い知らされました。もちろん、音程を外さずに最後まで弾けるというのは大切なことです。しかし、それはまだ「入り口」にすぎず、そこから先は「どう聴かせるか」という表現の領域に踏み込んでいかなくてはなりません。先生に「表現が考慮されていない」と言われたとき、私は一瞬「ちゃんと弾けていたはずなのに」と思ってしまいました。けれども、楽譜に書かれたフォルテやピアノ、クレッシェンドやデクレッシェンドを意識しないまま、ただ音を並べていたのだと気づいたとき、その指摘の意味がすっと腑に落ちたのです。
思えば、集合住宅での練習環境も、私の演奏姿勢に影響していたのかもしれません。どうしても音量を抑えようとすると、無意識のうちに弓を短く使い、音をこじんまりとまとめてしまいます。その結果、フレーズ全体の起伏が失われ、聴き手に何も伝わらない「淡々とした演奏」になってしまうのでしょう。先生から教わった「弓を半分だけ使う練習法」は、そうした制約の中でも音にニュアンスを込めるための工夫なのだと思います。音量を控えても表情を出すことはできる、その感覚を身につけることが今の課題なのかもしれません。
一方で、課題曲がザイツに戻ったことには少なからず落胆もありました。せっかく少し難しい曲に挑戦できるようになったと思った矢先に、また昔の教材に逆戻りするとは。しかしよく考えてみれば、それは「基礎を見直すチャンス」なのだと思い直すことにしました。ザイツはシンプルですが、だからこそ音程の正確さや弓の運び、そして小さな表情の変化がごまかせません。むしろブラームスのような大曲に進む前に、ここで基礎を徹底的に固めておくことが将来の財産になるはずです。
それに、先生の前で弾くときの緊張感は、自宅での練習だけでは得られないものです。集合住宅で周囲に遠慮しながら弾いているときには気づけない「自分の癖」を指摘してもらえるのは本当にありがたいことです。おそらく、私が自覚していなかった「表現不足」も、客観的に聴いてもらったからこそ明らかになったのでしょう。独学では到底気づけなかった課題です。
正直なところ、ブラームスのヴァイオリン・ソナタに到達するまでにどれほど時間がかかるのか、想像すると気が遠くなります。けれども、音楽の学びには近道がありません。遠回りに見えても、一歩ずつ進むしかないのです。ザイツを通じて「ただ音を並べるだけ」から脱却し、少しでも自分なりの表情をつけられるようになること。それが今の自分に課された、何よりも大切な課題だと感じています。
思えば、集合住宅での練習環境も、私の演奏姿勢に影響していたのかもしれません。どうしても音量を抑えようとすると、無意識のうちに弓を短く使い、音をこじんまりとまとめてしまいます。その結果、フレーズ全体の起伏が失われ、聴き手に何も伝わらない「淡々とした演奏」になってしまうのでしょう。先生から教わった「弓を半分だけ使う練習法」は、そうした制約の中でも音にニュアンスを込めるための工夫なのだと思います。音量を控えても表情を出すことはできる、その感覚を身につけることが今の課題なのかもしれません。
一方で、課題曲がザイツに戻ったことには少なからず落胆もありました。せっかく少し難しい曲に挑戦できるようになったと思った矢先に、また昔の教材に逆戻りするとは。しかしよく考えてみれば、それは「基礎を見直すチャンス」なのだと思い直すことにしました。ザイツはシンプルですが、だからこそ音程の正確さや弓の運び、そして小さな表情の変化がごまかせません。むしろブラームスのような大曲に進む前に、ここで基礎を徹底的に固めておくことが将来の財産になるはずです。
それに、先生の前で弾くときの緊張感は、自宅での練習だけでは得られないものです。集合住宅で周囲に遠慮しながら弾いているときには気づけない「自分の癖」を指摘してもらえるのは本当にありがたいことです。おそらく、私が自覚していなかった「表現不足」も、客観的に聴いてもらったからこそ明らかになったのでしょう。独学では到底気づけなかった課題です。
正直なところ、ブラームスのヴァイオリン・ソナタに到達するまでにどれほど時間がかかるのか、想像すると気が遠くなります。けれども、音楽の学びには近道がありません。遠回りに見えても、一歩ずつ進むしかないのです。ザイツを通じて「ただ音を並べるだけ」から脱却し、少しでも自分なりの表情をつけられるようになること。それが今の自分に課された、何よりも大切な課題だと感じています。
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