Cuvie先生のバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』第28巻。この巻でも引き続き新型コロナウイルス感染症を扱っています。作中では特に触れられていませんが、少しずつとはいえ様々な規制が緩和されつつあるころだったように記憶しています。

冒頭、「シエナ1348」が開演しています。パフォーマンスのさなか、奏は「踊りがあってよかった。もしそうじゃなかったら、この一筋の光もきっと見失ってしまった」と胸の中で語ります。

いったい、芸術とは何でしょうか? それは、何らかの素材や手段を用いて、直接的にはそこに存在しない別の何かを表現する営みです。絵画は色や形で感情や思想を描き、音楽は音の連なりによって物語や情景を喚起します。この「別の何か」を伝える過程において、芸術は単なる再現ではなく、創造的な変換や解釈を伴うものです。そのため、芸術は制作者の内面世界と鑑賞者の感受性とが交差する場となります。その意味において、キーラがはるか昔、シエナで起こった出来事に託してコロナという状況のもと自らの表現を作り上げたのは、たとえ学生の作品であっても「芸術」であると言ってもよいでしょう。

重要なのは、芸術が本質的にコミュニケーションであるという点です。制作者は作品を通じて自身の感覚や思索を外界へ送り出し、鑑賞者はそれを受け取り、自分なりの理解や感情を形成します。このやり取りは言語に限らず、視覚、聴覚、触覚など多様な感覚を媒介として成立します。バレエの場合は、踊りや様々なしぐさを通じてドラマを表現し、鑑賞者の心に訴えかけようとするものです。したがって、芸術は一方的な発信ではなく、受け手との間に生まれる関係性の中で初めて完結する行為であるといえます。

「私達はまだ踊れる」。奏はそう仲間に言います。公演が今後どうなるかわからない状況のもとで出した答えがこれでした。

この巻ではこのあと友人がウィーン国立バレエ団の正団員として採用される場面が描かれ、また別の物語が進み始めます。どこの団も採用を絞るなかでオファーが来たということは、その実力は十分あるということなのでしょう。そして別の友人が英国に戻って来るところで28巻は終わります。

『絢爛たるグランドセーヌ』という作品は天下一武道会のように次から次へとライバルキャラが登場して繰り出す技がどんどん大がかりなものになっていくというものではなく、淡々と少年少女たちの成長を描くというもの。コロナ以外には大きな起伏はなく、むしろ日常の稽古や舞台裏での小さな出来事が積み重なり、人物たちの内面や関係性の変化が丁寧に描かれます。その静かな時間の流れの中で、登場人物それぞれが自分なりの課題や夢に向き合い、少しずつ前へ進んでいく姿が際立ちます。派手な展開こそないものの、だからこそ読者は彼らの呼吸や視線、舞台の一歩一歩に込められた想いを感じ取ることができます。コロナ禍という現実の制約下でも、踊ることを選び続ける彼らの姿は、芸術が持つ静かな力と、人をつなぎ支える温かさを改めて伝えてくれるのです。