最近の夏は暑すぎます。尋常ではありません。2024年には用事があって関西に行きましたが、旅行したというよりも日陰から日陰へと飛び移ったというほうが実態に近かったです。奈良公園ではまさにそんな感じ。宇治ではフルマラソン完走経験のある私ですら標高100m程度の丘を登れず、わずか20mくらいの地点で断念しました。弱い・・・。平等院鳳凰堂では、建築物ではなく博物館のエアコンの涼しさに感動しました。一体何しに出かけたのか・・・。そして帰り道は東海道新幹線が事故で1日稼働しておらず、急遽京都のホテルに追加宿泊しました。開き直って1日京都中心部を観光しましたがこれまた暑くて辛かった・・・。

そして実感しました。夏の外出は、暑さゆえに満足度を著しく引き下げます。目的地に到達するまで常に不快感に耐えねばなりません。そして帰り道もまた不快感に耐えねばなりません。夏の外出は「これは絶対に行きたい」「今行かねば」と強く思えるものだけで十分です。

それにしても、なぜここまで夏が過酷になってしまったのでしょうか。昔の夏も暑かったはずですが、今のように「命の危険」という言葉が日常的に飛び交うような状況ではなかった気がします。2024年の関西旅行で私が感じたのは、「観光よりも生存が優先される季節になってしまったのだ」という切実な実感でした。

もちろん、いかに賢く日陰を探しながら移動したとしても(なんだか夜のゴキブリみたいだ)、直射日光の中を移動する時間をゼロにすることはできません。駅から目的地までの数百メートルが、まるでサバイバル訓練のように感じられることすらあります。

私が観光の途中で丘の中腹で立ち止まったとき、心の中で「だるい。辛い。ここまでして登る価値はあるのか?」と判断したのは、おそらく正しい選択でした。健康な大人であってもこれほど厳しいのですから、高齢の方や小さなお子さんには、いっそうの注意が必要です。

では、どうすれば夏の外出をもっと快適にできるのでしょうか。

一つは、無理をしないことです。「せっかく来たのだから全部回らなければ損だ」と思うのは、日本人のまじめさゆえかもしれませんが、それは命あっての話です。訪れるべき場所を絞り込み、「ここだけは見ておきたい」というポイントを抑えるだけでも旅の満足度は保てます。

もう一つは、移動時間帯の工夫です。朝早くに出発し、昼の最も暑い時間帯は室内で過ごすというリズムを意識することで、体への負担を減らせます。

また、旅先の予定をあらかじめ柔軟にしておくことも大切です。新幹線が止まり、予定通り帰れなかったとき、もし事前にすべてを詰め込んでいたら、きっと心の余裕がなくなっていたでしょう。追加宿泊の手配や翌日の計画変更も、気温の高さと不測の事態が重なれば冷静に判断することが難しくなります。「変更はつきもの」と思っておくことで、気持ちもいくぶん軽くなります。

最終的に、私はこう考えるようになりました。夏に外出するときは、体験の価値と移動のリスクを天秤にかけ、「それでも行きたいか?」と自分に問いかけることが重要です。その答えが「はい」であれば、十分な対策をして出かければよいし、「いいえ」であれば、秋や冬に延期するという判断も立派な選択です。

旅とは楽しむものであって、苦行ではありません。夏の猛暑のなか無理を重ねるよりも、自分の体調と相談しながら、心地よく記憶に残る時間を選びたいものです。何をするにも体が資本。特にこれからの時代、暑さをなめてはいけない。そう強く思った2024年の夏でした。にしても一体なぜわざわざ夏に旅行したのか・・・。