私は自覚していますが、人嫌いです。だから職場でもいつも一人です。昼食ももう5年ほど、まったくと言ってよいほど人と食べていません。そんなことをするくらいなら、むしろ一人でタブレット端末でNHKのドキュメンタリー映像を見ているほうがよほどためになる。そう思って不言実行、ずっと昼休みは一人で過ごしています。最終出勤のその日もきっと同じように昼休みにアウシュヴィッツがどうした、沖縄戦がどうした、とかいうようなドキュメンタリー映像を見ていることでしょう。
そんな私だけに、職場では仕事以外で話しかけて来る人はまずいません。まあ私みたいな人と話したいと思う人なんてほとんどいないでしょうね。
しかし、退職することが発表されたら急に人が話しかけてくるようになったのです。少々困惑しました。これは閉店するデパートと同じじゃありませんか。閉店するってことは、お客さんが来なかったということ。だから閉店するわけです。でも、閉店セールのときに「私このお店好きだったのに。こんなことになるならもっと来れば良かった」と言ってるお客さんの多いこと。(私は某デパートが閉店するときのセールのアルバイトとして働いていて、そういう光景を目にしました。)いやいや、だったら普段からもっと来てやれよ。
・・・とはいえ、閉店する店も、退職する私も、最後まできちんとやるしかありません。
今さらになって話しかけてくる人たちに対して、「ああ、あなたは普段から私に関心なんてなかったでしょう?」と突き放すのは簡単です。でも、もうそんなことで心を動かすこともありません。なんというか、人生の後片付けのようなものとして、最後の日々を静かに過ごしているだけです。
それでも、たまに「さびしいです」とか「いなくなると困ります」といった言葉をもらうことがあります。これには返答に少し迷います。そもそも私がいなくなっても、業務自体は誰かが引き継ぎ、何ごともなかったように日常が続くのです。職場とは、そういう場所です。特定の誰かがいなくなったくらいで止まるような組織は、むしろ問題でしょう。
また、「どうして辞めるんですか?」という質問もよく受けます。でも、私は人に話すようなドラマチックな理由を持っていません。人に合わせることに疲れたとか、孤独がつらいとか、そういう話ではないのです。
「またどこかで会いましょうね」と言われることもあります。けれど私はたぶん、会わないでしょう。SNSもやっていませんし、連絡先も基本的に誰にも教えていません。わざとそうしているのです。別れ際に「またね」と言うのが社交辞令であることくらい、大人になれば誰でも知っています。それでも言わずにはいられないのが人間なのかもしれません。
最終出勤日の昼休み、私はいつも誰もいない部屋に入って弁当を広げ、タブレットで戦争関連のドキュメンタリーを再生するでしょう。
人の命の重さ、時代の理不尽さ、歴史の繰り返し・・・、そんなことを考えながら、静かに箸を動かす。そして映像が終わるころ、午後の最後の仕事に取りかかるのです。
さようならを誰かに言われるより先に、自分の中ではすでに「さようなら」が終わっています。
たぶん私という人間は、職場の中で最初から最後まで、風景の一部だったのでしょう。
気づかれず、話しかけられず、でも確かに存在していた風景。
それならそれで、私は満足しています。
今さらになって話しかけてくる人たちに対して、「ああ、あなたは普段から私に関心なんてなかったでしょう?」と突き放すのは簡単です。でも、もうそんなことで心を動かすこともありません。なんというか、人生の後片付けのようなものとして、最後の日々を静かに過ごしているだけです。
それでも、たまに「さびしいです」とか「いなくなると困ります」といった言葉をもらうことがあります。これには返答に少し迷います。そもそも私がいなくなっても、業務自体は誰かが引き継ぎ、何ごともなかったように日常が続くのです。職場とは、そういう場所です。特定の誰かがいなくなったくらいで止まるような組織は、むしろ問題でしょう。
また、「どうして辞めるんですか?」という質問もよく受けます。でも、私は人に話すようなドラマチックな理由を持っていません。人に合わせることに疲れたとか、孤独がつらいとか、そういう話ではないのです。
「またどこかで会いましょうね」と言われることもあります。けれど私はたぶん、会わないでしょう。SNSもやっていませんし、連絡先も基本的に誰にも教えていません。わざとそうしているのです。別れ際に「またね」と言うのが社交辞令であることくらい、大人になれば誰でも知っています。それでも言わずにはいられないのが人間なのかもしれません。
最終出勤日の昼休み、私はいつも誰もいない部屋に入って弁当を広げ、タブレットで戦争関連のドキュメンタリーを再生するでしょう。
人の命の重さ、時代の理不尽さ、歴史の繰り返し・・・、そんなことを考えながら、静かに箸を動かす。そして映像が終わるころ、午後の最後の仕事に取りかかるのです。
さようならを誰かに言われるより先に、自分の中ではすでに「さようなら」が終わっています。
たぶん私という人間は、職場の中で最初から最後まで、風景の一部だったのでしょう。
気づかれず、話しかけられず、でも確かに存在していた風景。
それならそれで、私は満足しています。
しかし。次の職場も初日からそんなん仕草だったらみんな「なんじゃこいつ」と思うだろうな・・・。一体どうすればいいのか・・・。
コメント
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としか