ヴァイオリンを何年も練習していると、小品だけでなくソナタも課題曲として与えられるようになります。そして数ヶ月の練習ののち、実際にそれを演奏することが可能なまでに曲に慣れることができるわけです。
私の場合はベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第5番 春』という曲を演奏しました。2025年2月のことでした。私のヴァイオリンの先生が、とあるピアニストと知り合いなのですが、このピアニストというのが米国の有名な音楽院で働いていたことがあり、つまりかなりのベテランのようなのです。そして私の先生とこのピアニストが二人でサロンコンサートを企画しており、私もこれに参加しませんかと誘いを受けたのが2023年のこと。それ以来3年連続で出場し、最後にはベートーヴェンにたどり着いたというわけです。
しかし2025年夏には引っ越すことになったため(自分で選んだことです)、この先生のもとを離れることになりました。最後のレッスンで、先生からは「普通の人がヴァイオリン・ソナタ全曲を通しで弾く機会は滅多にない」と言われ、しまった、そんなに貴重なチャンスだったのか、みすみす逃してしまったと後の祭り。後になって自分は恵まれた環境にいたんだと気づきました。果たして江東区で今に匹敵するだけの環境が見つかるのかどうか、急速に不安になってきました。
いま思えば、あのサロンコンサートというのは、音楽を学ぶ者にとってまさに「実地研修」のような機会だったのだと思います。ホールほど大げさではないけれど、決して手を抜けるような場ではなく、むしろ小規模な空間ゆえにごまかしの効かない、ある意味では演奏者にとって最も緊張を強いられる場でもあります。
それでも、私はこの数年間で確実に成長しました。数年かかったわりにこれだけしか成長しなかったのか、と言われれば、そうだとしか言いようがありませんが。
それでも、私はこの数年間で確実に成長しました。数年かかったわりにこれだけしか成長しなかったのか、と言われれば、そうだとしか言いようがありませんが。
とくに「春」を仕上げるプロセスは、自分の中でも記憶に残る濃密な時間でした。冒頭ののびやかな主題を、いかに柔らかく、自然な歌心をもって奏でるか。技巧的な難所ももちろん多いのですが、それよりもフレーズの呼吸や、ピアニストとの掛け合い、空気の間合いが問われる楽章です。自分ひとりで練習していた頃には気づかなかったことが、合わせを重ねるうちに少しずつ見えてくる。それがソナタを弾くことの醍醐味なのかもしれません。
引っ越し先でもヴァイオリンを続けるつもりでいます。ですが、いまのように指導歴が豊富な先生に師事し、しかも一流のピアニストと一緒に室内楽を演奏するような機会に恵まれるとは限りません。大げさかもしれませんが、音楽人生のひとつの黄金期をいま終えたような、そんな感覚すらあります。やっべー・・・。
引っ越し先でもヴァイオリンを続けるつもりでいます。ですが、いまのように指導歴が豊富な先生に師事し、しかも一流のピアニストと一緒に室内楽を演奏するような機会に恵まれるとは限りません。大げさかもしれませんが、音楽人生のひとつの黄金期をいま終えたような、そんな感覚すらあります。やっべー・・・。
もちろん、これは終わりではなく、ひとつの通過点です。たとえ新天地での環境が多少厳しいものだったとしても、これまで得てきたものは私の中にちゃんと残っているはずです。
引っ越しって結構リスクというか、ギャンブルなんだなぁ・・・。
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