アムステルダムを訪れる方ならほぼ確実にアムステルダム国立美術館にも足を延ばすはずです。なにしろレンブラントとかフェルメールとか、ここでしか見られない作品がありますから。「この作品、競売に出したらいったいいくらになるんだろう」という余計な想像をしながら『牛乳を注ぐ女』の前に立つと、「たぶんこの1秒ごとに・・・円くらいの値打ちがあるんだろうな」などと無駄にお金に換算してしまいます。

しかしこの美術館もものすごく広いので、全部回ろうとすると2、3時間はかかります。でもそれだけの時間ずっと立っているのはかなり辛いです。だんだん頭がぼーっとしてきます。だから最初に(体力が残っているうちに)フェルメールやレンブラントが展示されている広間を訪れて、そのあとに様々な部屋を訪れるのが良いでしょう。
入口フロアにカフェがありますが、ここはどうやら高いらしい。このほかに、2025年6月時点では、たしか1Fと2Fをつなぐ踊り場のようなところ(右側のウイングなのか左側のウイングなのか忘れました)にもう一つ小さなカフェがあって、そこで私はアメリカンコーヒーとチョコケーキのようなもの(この二つで1,500円は超えていたはず。円安つらい!)を注文してしばらく休憩しました。

しかしこの美術館もものすごく広いので、全部回ろうとすると2、3時間はかかります。でもそれだけの時間ずっと立っているのはかなり辛いです。だんだん頭がぼーっとしてきます。だから最初に(体力が残っているうちに)フェルメールやレンブラントが展示されている広間を訪れて、そのあとに様々な部屋を訪れるのが良いでしょう。
入口フロアにカフェがありますが、ここはどうやら高いらしい。このほかに、2025年6月時点では、たしか1Fと2Fをつなぐ踊り場のようなところ(右側のウイングなのか左側のウイングなのか忘れました)にもう一つ小さなカフェがあって、そこで私はアメリカンコーヒーとチョコケーキのようなもの(この二つで1,500円は超えていたはず。円安つらい!)を注文してしばらく休憩しました。
美術館という場所は不思議なもので、実際には歩いている距離も大したことがないはずなのに、やたらと疲れます。とくにアムステルダム国立美術館のように、一点一点の作品が濃密で、かつ見ごたえのあるものばかりだと、単に「歩く」「立つ」だけでなく、「見る」「考える」「感じる」といった脳のエネルギーもどんどん消費されていくようです。気がつくと、作品を眺めていても頭のなかが真っ白になったりして、「もうこれは疲労だな」と自覚することになります。
そうなってからでは遅いので、やはり途中で意識的に休憩をはさむのが大切です。展示室からいったん離れて、椅子に座るだけでもずいぶん違います。とくに私のように、全部の部屋を見てやろうと欲張ってしまうタイプの人間には、ペース配分が不可欠です。美術館は競歩のコースではありませんし、「全部見たかどうか」がその日の充実度を決めるわけでもないのです。
館内の小さなカフェでひと息ついていると、まわりでも同じように疲れた顔の観光客が黙々とコーヒーをすする姿が見られました。国籍も年齢もバラバラですが、全員が共通して「ちょっと一休み」という雰囲気をまとっているのが面白いところです。たぶんこの瞬間、誰もが心のなかで「やっぱり名画鑑賞ってけっこう体力いるよな」とつぶやいていたに違いありません。知らんけど。
それでも不思議なのは、十分に休憩をとったあとには、またもう一度、あの絵の前に立ってみたくなるということです。さっき通り過ぎたあの絵、なんとなく見た気になっていたけど、やっぱりもう一度ちゃんと向き合ってみたい。そんな気持ちがむくむくと湧いてきます。そもそもこれが人生最後の『手紙を読む女』になるかもしれんしな・・・。そうやって再び展示室に戻ると、同じ絵がさっきとは少し違って見えたりするから不思議です。美術館のなかでの「休憩→再突入」は、単なる体力回復のためだけではなく、鑑賞体験そのものを豊かにするための大事なプロセスなのかもしれません。
アムステルダム国立美術館を訪れる際は、ぜひ「見る時間」だけでなく「休む時間」も予定に組み込んでおくことをおすすめします。むしろ、たっぷり休みながら、ゆったりと数点の作品に集中するくらいの方が、あとで印象に残るものが多いような気がします。名画たちはいつまでもそこにいてくれるのですから、こちらが急ぐ必要はまったくないのです。
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