付き合っている状態だとラブライブ! じゃなくてラブライブ! サンシャイン!! じゃなくてラブラブなのに、結婚して共同生活をスタートさせたらお互いの嫌な面が見えて仲が悪くなった、というのはたまに聞く話です。同じ理由で、ブラームスはクララ・シューマンと結婚しなくてむしろ幸せだったんじゃないかと思い始めました。

ロマン派音楽を語るうえで欠かせない人物の一人、ヨハネス・ブラームス。彼の生涯を語るとき、避けて通れないのがクララ・シューマンとの関係です。クララは夫ロベルト・シューマンの死後も、ブラームスと生涯にわたって親密な交流を続けました。その間柄は、深い愛情と信頼に満ちたものでありながら、最後まで結婚に至ることはありませんでした。しかもブラームスはクララとの手紙をあとで廃棄しています。読まれたくなかったからに決まっています。いやらしいな。

では、もしブラームスがクララと結婚していたら、ふたりは本当に幸せになれたのでしょうか。結論から申しますと、私は「結婚しなかったからこそ、ふたりはお互いにとって幸せだったのではないか」と考えています。その理由は、芸術家同士が近すぎる関係になることで、かえって互いの人間的な欠点や生活の摩擦が強調されてしまう可能性があるからです。

ブラームスは繊細で内向的な性格の持ち主であり、芸術と孤独の中に身を置くことを選んだ人物です。一方、クララは8人の子どもを育てながら、演奏家としても自立した非常に強い意志を持つ女性でした。ブラームスはクララに対して深い敬愛と愛情を抱いていたと言われていますが、その愛はあくまで「理想化された女性」としてのクララへのものであり、現実の生活を共にする対象としてのクララとは異なるのではないでしょうか。

人は誰しも、距離があるからこそ相手の美点が際立って見えることがあります。長く共に生活をすれば、どれだけ尊敬していた相手であっても、些細な生活習慣の違いや感情のすれ違いが起きてくるものです。芸術家という感受性の強い人間同士なら、なおさらそうでしょう。

また、ブラームスの創作活動にも注目すべき点があります。彼の多くの作品には、クララへの思慕が色濃く反映されています。たとえばピアノ曲や歌曲には、抑えきれない感情が静かに、しかし確かに込められていると感じられます。このような情熱が音楽として結晶化したのは、むしろ実らない愛だからこそ可能だったのかもしれません。いやそうに決まってるだろ。

クララの側も、ブラームスに対してただの「支え合う友人」という以上の感情を持っていたことは明らかです。しかし、彼女もまたブラームスと距離を保つことで、精神的なつながりを純粋に保つことを選んだのではないでしょうか。もしも実際に共同生活を始めていたら、お互いの期待が重なりすぎて、関係が壊れてしまうリスクもあったでしょう。

人間関係にはいろいろな形があります。愛情の深さは、必ずしも結婚という形式によって測られるものではありません。むしろ結婚しなかったからこそ、ふたりの関係は崇高な次元で保たれ、互いを高め合うことができたのだと思います。

ブラームスとクララの関係は、現代の私たちにも示唆を与えてくれます。愛とは何か、距離とは何か、そして人と人が本当につながるとはどういうことなのか。結婚という形にとらわれずに、お互いを尊重し続けたふたりの姿は、まさに「結ばれなかった愛」の理想形とも言えるのではないでしょうか。この説、けっこういい線言ってると思いますけどどうですかね・・・。