学生のころ、音楽の聴き方は今とはまるで違っていました。限られたお小遣いやバイト代のなかで、慎重に選んだ1枚のCDを手に入れると、それはもう宝物のような存在でした。何度も何度も聴き返し、歌詞カードを見ながらメロディーに耳を傾け、曲の世界観にどっぷりと浸かる。時には、自分の気分や出来事とリンクさせて、あたかもその曲が自分のためにあるように感じたこともあります。っていうかシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団のベートーヴェンの『第九』なんて一体何回聴いたのか・・・。時間があったのもそうですが、そこで指揮者が足音を鳴らすとか、かけ声が入るとか、音楽と無関係な雑音すら覚えてしまいました。
当時は、手に入る音楽が限られていたぶん、その一枚をじっくり味わう時間がありました。トラック1から最後まで、順番どおりに聴くことが当たり前で、曲順にも意味があるように感じていました。1曲目から最後の曲まで通して聴くことで、そのアルバムが一つの物語になっているような、そんな感覚すらありました。
ところが・・・、社会人になって経済的な余裕ができると、状況は大きく変わりました。東京で中古CD店を訪れるようになると、その在庫枚数に驚きました。で、ついつい買うわけですよね。数百円くらいの中古CDを何枚も。ただ、その反面、音楽との付き合い方が「軽く」なってしまったような気もしています。次から次へと新しい曲を流し聴きし、気に入らなければCDラックに突っ込んで終わり。昔のように、一つの曲を深く聴き込むという体験が少なくなりました。
たとえば、学生のころは「うーんベルリオーズの『幻想交響曲』は何度聴いてもわからん、というか共感できん」と何度も考えたりしたものです(共感できん曲を何回も聴くのも不思議だが)。でも今は、そこまで踏み込む前に、次の曲に移ってしまうことがほとんどです。音楽を「味わう」よりも「浴びる」ような感覚。便利さと引き換えに、何か大切なものを手放してしまったような気もします。
もちろん、社会人になると時間的な余裕がなくなり、生活のなかで音楽に割ける集中力も限られてくるという現実もあります。仕事や家事に追われるなかで、BGMとして流す音楽が癒しになっているのも事実です。だからこそ、「昔のような聴き方ができなくなった」と嘆くよりも、「どうすればまた音楽と丁寧に向き合えるだろうか」と考えてみることが大事なのかもしれません。
最近、またミュンシュのCD、それもロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団に客演したときの『田園』という中途半端にマニアックなやつをじっくり聴くということを意識的にやってみました。すると、1回目では気づかなかった音色やニュアンスに耳が向くようになり、「ああ、こういう聴き方をしていたな」と懐かしい気持ちになりました。音楽に対する感受性が少しだけ、昔の自分に戻った気がしたのです。
経済的に余裕ができると、たしかに音楽の選択肢は広がります。でも、その分だけ一つひとつとの「距離」が遠くなってしまうのかもしれません。だからこそ、今の時代にこそ、「1枚のCDを繰り返し聴く」という、昔ながらの丁寧な向き合い方を意識的に取り戻してみる価値があるのではないでしょうか。
当時は、手に入る音楽が限られていたぶん、その一枚をじっくり味わう時間がありました。トラック1から最後まで、順番どおりに聴くことが当たり前で、曲順にも意味があるように感じていました。1曲目から最後の曲まで通して聴くことで、そのアルバムが一つの物語になっているような、そんな感覚すらありました。
ところが・・・、社会人になって経済的な余裕ができると、状況は大きく変わりました。東京で中古CD店を訪れるようになると、その在庫枚数に驚きました。で、ついつい買うわけですよね。数百円くらいの中古CDを何枚も。ただ、その反面、音楽との付き合い方が「軽く」なってしまったような気もしています。次から次へと新しい曲を流し聴きし、気に入らなければCDラックに突っ込んで終わり。昔のように、一つの曲を深く聴き込むという体験が少なくなりました。
たとえば、学生のころは「うーんベルリオーズの『幻想交響曲』は何度聴いてもわからん、というか共感できん」と何度も考えたりしたものです(共感できん曲を何回も聴くのも不思議だが)。でも今は、そこまで踏み込む前に、次の曲に移ってしまうことがほとんどです。音楽を「味わう」よりも「浴びる」ような感覚。便利さと引き換えに、何か大切なものを手放してしまったような気もします。
もちろん、社会人になると時間的な余裕がなくなり、生活のなかで音楽に割ける集中力も限られてくるという現実もあります。仕事や家事に追われるなかで、BGMとして流す音楽が癒しになっているのも事実です。だからこそ、「昔のような聴き方ができなくなった」と嘆くよりも、「どうすればまた音楽と丁寧に向き合えるだろうか」と考えてみることが大事なのかもしれません。
最近、またミュンシュのCD、それもロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団に客演したときの『田園』という中途半端にマニアックなやつをじっくり聴くということを意識的にやってみました。すると、1回目では気づかなかった音色やニュアンスに耳が向くようになり、「ああ、こういう聴き方をしていたな」と懐かしい気持ちになりました。音楽に対する感受性が少しだけ、昔の自分に戻った気がしたのです。
経済的に余裕ができると、たしかに音楽の選択肢は広がります。でも、その分だけ一つひとつとの「距離」が遠くなってしまうのかもしれません。だからこそ、今の時代にこそ、「1枚のCDを繰り返し聴く」という、昔ながらの丁寧な向き合い方を意識的に取り戻してみる価値があるのではないでしょうか。
音楽は「情報」ではなく「体験」だと、あらためて感じています。
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