ドイツの指揮者フルトヴェングラーは戦時中もナチス・ドイツ政権下に留まって指揮活動を継続したためナチに協力的であった者とみなされることがありました。実際はユダヤ系音楽家を守ったり、自分がドイツ国民の精神的支えにならなくてはという使命感があったりと、ナチに協力したかったわけではなくむしろその逆でした。しかしナチのプロパガンダは彼の意図を捻じ曲げて、「ほら、フルトヴェングラーはヒトラーのために働いている」とでも言いたげな報道を繰り返していました。

しかしナチスの意向にとって都合が悪いフルトヴェングラーを密かに逮捕してしまおうという勢力もあり、これを知った軍需大臣シュペーアは彼に身の危険が迫っていることを伝えます。また、別の情報筋からも自分が殺されそうだということを知りました。そして1945年1月下旬のウィーンでのコンサート前、フルトヴェングラーは尾行されていることに気がついてスイスへの亡命を決意するのでした。

コンサート翌日、早朝にゲシュタポがやってくるよりも早くスイスに向かった彼は、国境まで近づいてから友人の家に身を潜めていました。彼はビザを持っていたものの、国境を越える日付は未記入だったからでした。

いよいよ国境を越える日になると、その日にも国境を通過する人が3人いたためにフルトヴェングラーは彼らを先に行かせて様子を見ることにしました。彼らはビザのハンコとは別のハンコがパスポートに押してあったのですが、フルトヴェングラーのパスポートにはそれがありませんでした。

国境警備にあたっていた50代の男にフルトヴェングラーはパスポートを見せると、その人は国境を通過できる条件を満たしていないことはすぐに気付いたそうですが、彼の顔をじっと見て「結構です。どうぞお通りください」と言ったそうです。こうしてフルトヴェングラーは無事スイスに亡命することができ、第二次世界大戦後まで生き延びることができました。

・・・これはなんだかあの「勧進帳」の話を思い起こさせるではありませんか。

まるで見破られるのを覚悟しながら通行を願い出る弁慶のように、フルトヴェングラーもまた、生き延びるために命懸けの一芝居を打ったのかもしれません。彼の顔を見て「どうぞお通りください」と言った国境警備の男が、彼を誰だか知らなかったはずはないでしょう。あるいは知っていたからこそ、静かに見逃したのかもしれません。命令に忠実であるべき立場にありながら、目の前の人間の人格や過去の行いを瞬時に見抜いて判断したその男の一言が、まさにフルトヴェングラーにとっての運命の分かれ道となったのです。

追われる身でありながらも、最後の瞬間に一人の見知らぬ人間の良心に救われたこのエピソードは、日本の古典『勧進帳』で、弁慶と義経が関所を通過するあの緊迫した場面を思わせます。芸術の力を信じ、誠実に己の信念を貫いたフルトヴェングラーの姿は、まさに近代の弁慶と呼ぶにふさわしいのかもしれません。


参考文献