大指揮者フルトヴェングラー。彼の残した数々のレコードは今なお名盤・決定盤の誉高く、21世紀になっても依然として未発表録音が発掘されたりするなど、その人気は没後70年以上経過しても衰えることはありません。

その彼は晩年になると難聴に悩まされていたというのはよく知られています。それで指揮するにも差し障りがあったとか、1954年録音の『ワルキューレ』の最後の場面だけ、指揮ができなくなった彼に代わってカラヤンが振った(らしい)とか、そのせいでその部分だけアインザッツがすごく明確な音になっているとか、いろいろなことが言われています。

フルトヴェングラーはナチスが政権を掌握するまでは健康そのもので、そもそもタバコも酒も嗜むことがなかったようです。しかし、エリザベート夫人によるとナチスのために政治と音楽の板挟みになって苦労したため健康を害してしまったようなのです。フルトヴェングラーは様々な異論があることを承知で第二次世界大戦中はぎりぎりまでドイツにとどまり、優れた音楽家を擁護するための活動を行っていました。ところが皮肉なことにそれがもとで戦後に裁判の被告席に座ることになるのですが・・・。(結果、無罪となりました。)

戦後、1952年にザルツブルク音楽祭の『フィガロの結婚』のリハーサルのときに練習中にひいた風邪がもととなり肺炎になり、高熱を出して意識不明に陥りました。このときのことをエリザベート夫人は「医者たちは、もう彼はおしまいだと言いましたが、私はそうは思いませんでした。でも、病気が治ったとき、耳が聴こえなくなっていることがわかったのです。治療に使われた薬の副作用だったようです。当時、薬の副作用については、まだよく知られていなかったのですが、あとで耳に悪いということがわかりましたので、その薬は販売禁止になりました」と語っています。

人間、年をとると誰しも耳が遠くなりがちで、フルトヴェングラーが難聴に悩まされていたのもその延長線だろう、大変だなくらいにしか思っていませんでしたが、実際は薬の影響だったのか・・・。

つまり、フルトヴェングラーの難聴は、単なる加齢の結果ではなく、医学的知識がまだ未発達だった時代の「治療の代償」だったというのです。音楽家にとって聴力は命ともいえる存在であり、それを失うことは致命的です。しかし彼は、その絶望的な状況にあっても、指揮台に立ち続けました。楽譜を熟知し、オーケストラとの信頼関係の中で音楽を創り出すその姿勢は、彼の精神力と音楽への献身を如実に物語っています。

実際、1954年の『トリスタンとイゾルデ』など、晩年の録音には、ある種の達観や内面的な深さが感じられ、それが聴き手の心を捉えて離しません。彼の指揮は、音を「聴く」こと以上に、音楽の「本質」を「感じる」ことに根差していたのかもしれません。そう考えると、フルトヴェングラーの晩年の演奏が放つ不思議な力、それは、彼が肉体的な限界を超え、音楽そのものと一体化しようとした証でもあるのでしょう。


参考文献