福島章恭さんといえば、私にとってまず思い浮かぶのが『クラシックCDの名盤』シリーズ。宇野功芳さん、中野雄さんとの共著で私はこの本を何度読み返したことでしょう。その後、宇野功芳さん、中野雄さんのコンサートや講演会にも足を運ぶこととなりました。

福島章恭さんの演奏会を初めて聴いたのは2006年の冬ウィーンにおいてでした。その時私は最初に勤めていた会社を退職し、次の職場の出勤日まで有給消化でハンガリーからノルウェーまで旅をしていました。行く先々で貰いタバコをしたり、酔っぱらいにケパブを奢ってもらったりと若き否馬鹿き日の思い出でした。その旅の序盤でウィーンを訪れ、謎のイタリア人にワインを散々ごちそうになりました。それはともあれ楽友協会大ホールでモーツアルトの『交響曲第40番』と『レクイエム』を聴きました。ホールの前を立ち寄って福島章恭さんの演奏会があることに驚き、また40番の熾烈な演奏に二度びっくり。そしてコンサート後半の『レクイエム』は息が止まるかと思うような高密度の演奏だったのを覚えています。

(当時の日記を振り返ると、当日は午前にシェーンブルン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿、午後に国立歌劇場ツアー、15:30からこのコンサート、さらにその後また国立歌劇場の立見席で『薔薇の騎士』でした。我ながら詰め込みすぎだろう。それと立見席は第2幕から人がごっそり帰ってなかなか快適でした。)

さて2025年5月11日(日)の「福島章恭コンサートシリーズⅣ」、シューベルトの『未完成』とブラームスの『交響曲第1番』。今回のテーマは「歌」。稀代のメロディメーカーでもあった二人の作曲家の代表作を堪能しました。

なにより嬉しいのは、演奏に機械的なところがなく、フレーズの終わりは長く引き伸ばされ、晩年のブルーノ・ワルターもこんな感じだったのかなというロマンの香りに満ちていたこと。こういう演奏は・・・、たとえばブラームスなら何度も聴いていますが、ハンス=マルティン・シュナイト氏が神奈川フィルを指揮したときくらいでしょうか。

一音一音が慈しむように響き、『未完成』の絶望の響きすらもまた温かみのある音色となっています。後半のブラームスにおいては、この交響曲は彼の他の作品に比べて著しく威嚇的であるにもかかわらず、やはり角が取れた、といっても力感に欠けるわけではなく、フォルテの響きの中にも本音を直接言わないブラームスの性格を読み取ったかのようなニュアンスが混じります。そして、やはり本職が合唱指揮者だからでしょうか、すべての音符に歌心が現れているではありませんか。だからこそこの演奏は機械的とはほど遠いのです。

この日のシューベルトといいブラームスといい、音楽は単なる音の連なりではなく、人生の機微を語る「歌」そのものとなって私に迫ってきました。それにしても、今から25年以上前に読んだ本がきっかけとなって、その後色々あって(生活拠点が転々としたり)、この日のコンサートを聴きに行くというご縁が巡ってくるとは。これだから音楽鑑賞はやめられません。