ロバート・グレーヴスの『さらば古きものよ』を読んでいると、第一次世界大戦に従軍した様子が活写されており、当時の兵士の戦場での振る舞いはどのようなものであったのかが伺われ非常に興味深いものとなっています。

第一次世界大戦ではフランダースのあたりに英仏と独墺が塹壕を掘ってにらみ合いを続けていました。数ヶ月で終わるだろうと思っていた戦争はまったく終わる気配がなく、むしろ長期戦の様相を呈するようになっていったのでした。

しかし塹壕つまり穴の中に暮らすって一体どういう感じなんでしょうか。ホビット穴みたいに快適なところならいいですが、戦場に快適な生活空間があるわけないですよね。むしろとても不衛生で「塹壕熱」という感染症が蔓延していました。

塹壕熱は1915年頃から多くの兵士の間で確認されはじめました。発熱、頭痛、筋肉痛、特にすねや背中の強い痛みを特徴とし、何日か高熱が続いたあと一時的に回復するものの、再び発熱するという波状的な症状が見られました。この病気は、兵士たちの戦闘能力を著しく低下させる原因となり、最前線からの後送を余儀なくされることも少なくありませんでした。

この病気の原因が明らかになったのは、戦争中期以降のことです。調査の結果、塹壕熱は「体シラミ」が媒介する感染症であることが判明しました。具体的には、体シラミの糞の中に含まれるリケッチアという細菌が皮膚の傷口や粘膜から体内に侵入することによって発症すると考えられています。

では、なぜ塹壕でこのような感染症が広がったのでしょうか。その背景には、劣悪な衛生環境がありました。塹壕は常に泥と水にまみれ、雨が降れば底には水がたまり、衣服や寝具は乾くこともなく、体を清潔に保つことも難しい状況でした。そのため体シラミが急激に繁殖し、兵士たちの体や衣服、毛布などに巣食っていたのです。そんなの想像しただけでも嫌ですね。

塹壕熱は命に関わることは少ないものの、完全な回復には数週間を要するため、戦力の維持に大きな影響を及ぼしました。ある推定によれば、イギリス軍だけでも50万人以上の兵士が塹壕熱に罹患したとされ、これは戦局にとっても無視できない損失でした。このブログで何度か触れた『指輪物語』の作者J.R.R.トールキンもまたこの塹壕熱に苦しめられています。

これに対して軍では、消毒薬の使用、衣類の煮沸消毒、シラミ駆除剤の導入といった対策を講じましたが、完全に抑えることは困難でした。結局のところ、塹壕戦という戦い方そのものが、塹壕熱を生む最大の要因であったのです。そらそうよ。

塹壕熱の歴史を振り返るとき、単なる病気として捉えるだけではなく、戦争が人間の健康にどのような新たなリスクをもたらすのかを考えさせられます。そして、医療や衛生がいかに戦争の行方を左右するかという事実も、私たちに教えてくれます。

そして・・・、アメリカが参戦すると、塹壕熱に加えて謎の感染症がまたひとつ追加されることになりました。名高き「スペイン風邪」でした。そんな謎の感染症が流行しているなんて、連合国も中央同盟国も秘密にしていたので、スペイン国王が罹患して「スペイン風邪」という名前がつきました。とんでもないとばっちりとしか言いようがない・・・。