国立西洋美術館にも「悲しみの聖母」という絵画が展示されています。世界中の美術館にも同じテーマで繰り返し繰り返し聖母マリアが描かれています。するとあることに気づくでしょう。なぜか画中の聖母マリアは大きな青いマントに身を包んでいることに。
他にも色はたくさんあるはずなのに、いったいどうして?

(国立西洋美術館、カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」)
葬儀の時の服装といえば黒が用いられます。神聖さを強調したいのであれば白を使うという手段があります。平和の色だから青? いえいえ、青が平和の色として使われるのは国連が発足してからです。だから時代がまるっきり違います。
地上と天上の中間地点で空、だから青?
いえ、じつはしょうもない理由がありました。
こうしたテーマがたくさん描かれていたということは、当時それだけマリア信仰が盛んだったということです。そのころ、宗教画の制作にはそれなりの費用がかかるべきだと考えられていました。そしてこの時代、青という色を出すためにはコストが膨大にかかっていました。たとえばアフガニスタンからラピスラズリを輸入して顔料に加工したりなど、手間ひまがものすごくかかっていたのです。そもそも入手するだけで一苦労でしょう。
そういうわけで、聖母マリアに青色の衣をまとわせることができるかどうかというのは、制作前の契約書を取り交わす時点でかなり重要視されていたようです。
他にも色はたくさんあるはずなのに、いったいどうして?

(国立西洋美術館、カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」)
葬儀の時の服装といえば黒が用いられます。神聖さを強調したいのであれば白を使うという手段があります。平和の色だから青? いえいえ、青が平和の色として使われるのは国連が発足してからです。だから時代がまるっきり違います。
地上と天上の中間地点で空、だから青?
いえ、じつはしょうもない理由がありました。
こうしたテーマがたくさん描かれていたということは、当時それだけマリア信仰が盛んだったということです。そのころ、宗教画の制作にはそれなりの費用がかかるべきだと考えられていました。そしてこの時代、青という色を出すためにはコストが膨大にかかっていました。たとえばアフガニスタンからラピスラズリを輸入して顔料に加工したりなど、手間ひまがものすごくかかっていたのです。そもそも入手するだけで一苦労でしょう。
そういうわけで、聖母マリアに青色の衣をまとわせることができるかどうかというのは、制作前の契約書を取り交わす時点でかなり重要視されていたようです。
つまり、青いマントは単なる色彩の選択ではなく、依頼主の信仰心や経済力の象徴でもあったのです。とびきり高価な青を惜しげもなく使えるということは、聖母マリアへの深い信仰と敬意、そして潤沢な財力の表れでもありました。実際、多くの教会や富裕なパトロンたちは、自身の信仰心を可視化するために、聖母像に贅を尽くすことを好みました。マリアの衣にどれほどの青が使われているかで、その宗教画の価値が語られることすらあったのです。
また、この「青」は単に金銭的価値だけでなく、精神的な意味合いも時を経て強まっていきました。深く澄んだ青は、マリアの純潔さや静謐さ、そして天への憧憬といった内面的な性質を象徴するようになり、やがて青のマントは彼女のアイコンとして確立されていきます。時代が下るにつれ、ラピスラズリの代わりにより安価な顔料が使われるようになっても、その「青」の意味づけは失われることなく受け継がれていきました。
こうして私たちが現代の美術館で「悲しみの聖母」や「受胎告知」の場面に出会ったとき、マリアが身にまとう青のマントには、時代を越えて語り継がれる信仰と文化、そして人々の思いが織り込まれているのです。ただの装飾ではない、色に込められた物語に思いを馳せることで、美術作品はより深く、私たちの心に語りかけてくることでしょう。
にしても、時代が違えばその前提条件が共有されなくなり、意味するところがまるで違ってきてしまうというのは面白いものです。こういうことは「青」だけではなくて、歴史がかかわるとこには山ほどあるんでしょうね・・・。
にしても、時代が違えばその前提条件が共有されなくなり、意味するところがまるで違ってきてしまうというのは面白いものです。こういうことは「青」だけではなくて、歴史がかかわるとこには山ほどあるんでしょうね・・・。
コメント