ハイドンの交響曲第104番『ロンドン』。ロンドンで作曲されたからというろくでもないエピソードからこの名前が与えられました。他にもドヴォルザークの交響曲が『イギリス』だったりと、作曲者の意向をあまり考慮していないんじゃないかと思われる作品がたまにあります。それもちょっとげんなりしますね。『幻想交響曲』が『幻想交響曲』じゃなくて『エジンバラ』なんていうタイトルだったら完全にミスリード。勘違いも甚だしいです。

ともあれ『ロンドン』。ハイドンといえば「交響曲の父」として名高く、生涯で104曲もの交響曲を作曲したことで知られています。その中でも晩年の傑作として広く親しまれているのが、『交響曲第104番 ニ長調』、通称『ロンドン交響曲』です。この作品は、ハイドンがロンドン滞在中に作曲した最後の交響曲であり、彼の交響曲作家としての集大成ともいえる存在です。あまり演奏されないのは残念ですが・・・。

ハイドンはウィーンの貴族エステルハージ家に長く仕えていましたが、雇用主の死を機に自由の身となります(もう雇ってくれなくなったらしい)。そんな彼をロンドンに招いたのが、興行主のヨハン・ペーター・ザロモンでした。ロンドンでは当時、「交響曲」というジャンルが人気を博しており、ハイドンの名声も高まりを見せていました。

この『ロンドン』は、ハイドンが1795年にロンドン滞在中の最後に完成させた交響曲であり、「ザロモン・セット」と呼ばれる12曲の中でも最終曲にあたります。晩年にも関わらず、彼の創作意欲と革新性は衰えるどころか、むしろ円熟の極みに達していたことがこの作品からはっきりと伝わってくるではありませんか。

第1楽章は、非常に印象的な序奏から始まります。重々しくも力強い響き。これはどこか厳粛で荘厳な雰囲気を漂わせます。そこから軽やかに転じる主部では、活発な主題が展開され、ハイドンらしいユーモアと推進力が感じられます。このギャップが実に巧妙で、このあたりがハイドンらしさにあふれています。また、ハイドンはこの楽章で木管楽器の使い方にも工夫を凝らしており、特にフルートとクラリネットの関係性が美しく、古典派らしいバランスの取れた響きが魅力的です。

続く第2楽章では、前楽章の緊張感から一転し、穏やかで親しみやすい旋律が静かに流れます。特に弦楽器の柔らかなハーモニーが印象的で、ハイドンの持つ抒情性が際立つ部分です。中間部では一時的に短調へ転じ、陰影が加わっています。なんだか人生の明暗を描くかのようではないでしょうか?

第3楽章はメヌエットとトリオの形式で、これはまあよくある古典派交響曲のパターンなのですが、その内容は決して形式的にとどまりません。というかハイドンに親しんだ人なら「らしいね」とニヤリとなるでしょう。中間部のトリオでは、木管楽器が主役となり、素朴で田園的な響きを醸し出します。

最終楽章は活気に満ちたロンド風の主題によって始まります。この主題はイングランドの民謡「Hot Cross Buns」に似ていると言われており、ハイドンが現地の音楽に触発された可能性も考えられます。テーマが次々に展開されながら、全体として非常にエネルギッシュで前向きな印象を与えます。

繰り返しの有無にもよりますが、全体で25分程度とコンパクトながらも構成の巧みさが目立ち、第1楽章は、非常に印象的な序奏から始まります。重々しいニ長調の和音が力強く鳴り響き、どこか厳粛で荘厳な雰囲気を漂わせます。そこから軽やかに転じる主部では、活発な主題が展開され、ハイドンらしいユーモアと推進力が感じられます。このギャップが実に巧妙で、聴く者の心を一気に掴んで離しません。

しかし正直言って、これがモーツァルトの『ジュピター』よりも優れた作品か、より感動的か、と聞かれると「いや・・・、別に・・・」と答えに詰まってしまうのもまた事実です。ハイドンの交響曲があまり演奏会に採用されないのはそれが理由なのかもしれません。いい曲であることは間違いないのですが・・・。