私は昔からそうなのですが、本を机の上に置く時に、表紙ではなく裏表紙を上にする癖があります。本を置くと99%くらいの確率で裏表紙が上になります。なぜでしょうか?
私に限った話ではないですが、読書を楽しんでいるとき、ふと席を離れる必要が出てきたときや、読みかけの本を机やベッドの上に置く場面はよくあります。そのとき、人によって本の置き方には個性が出がちです。中には、何の気なしに本をパタンと閉じて、裏表紙を上にして置く方がいます。表紙を上に向けて置くのが一般的に思えるなかで、なぜわざわざ裏表紙を上にして本を置くのでしょうか? このちょっとした行動の裏側には、いくつかの興味深い行動パターンがあると思いませんか?
本の表紙は、その本の「顔」とも言える存在です。タイトル、著者名、デザイン、時には人の顔や感情が込められたアートとでも言うべきものが印刷されており、他人の目を引く要素が多く含まれています。そんな表紙をあえて下にして置く人は、ある種の「見られたくなさ」を感じているからではないでしょうか? たとえば、読んでいる本が『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』だった場合、たとえ誰も気にしていないとしても、無意識に「隠す」行動に出てしまうことはよくあるものです。この行動は、プライバシーを守りたい、あるいは自分の内面に踏み込まれたくないという、ある意味非常に人間らしい防衛本能の一種と言えるでしょう。
また別の角度から見てみると、本をインテリアや日常の「背景」の一部として捉えている人が、裏表紙を上にして本を置く傾向にある場合もあります。表紙には色鮮やかなイラストや文字があり、机の上やベッドサイドに置くと視覚的に「主張」が強く感じられることがあります。要するに「うるさい」んですね。一方で裏表紙はシンプルなデザインが多く、目立たず静かな存在感に留まります。
つまり、「読書はするけれど、読んでいない時間は静かにしていてほしい」というような、読書と日常を明確に分けたいという心理がそこにあるのかもしれません。裏表紙を上にして本を置くことで、本を無意識に「読書モードのスイッチ」として扱っているわけ。無意識すげーな。
つまり、「読書はするけれど、読んでいない時間は静かにしていてほしい」というような、読書と日常を明確に分けたいという心理がそこにあるのかもしれません。裏表紙を上にして本を置くことで、本を無意識に「読書モードのスイッチ」として扱っているわけ。無意識すげーな。
もちろん、「特に理由はないけれど、なんとなくいつも裏表紙が上になる」という人もいるかもしれませんね。人間の習慣というものは、必ずしもすべてに明確な意図があるわけではありません。あるとき偶然裏表紙を上にして置いたら落ち着いた、視覚的にしっくりきた、机の配置と相性が良かった、などの要素が重なって、そのまま習慣化することもあります。私はたぶんこれ。
日常の何気ない仕草の中に、実はその人らしさが表れている、そう勝手に考えてみると、本の置き方ひとつをとっても、なんだか奥深い世界が広がっているように感じられます。もし手元に本があるなら、自分はどう置くか、改めて考えてみると、またその理由はなんだろうかと自問自答してみると、「そうだったのか!」と思うことがあるかもしれません。まあ、やらなくてもべつに問題はないですけどね・・・。
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