ミヒャエル・エンデの『モモ』の主人公モモは人の話を聴くのがうまいという設定になっています。
モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。ひっこみ思案の人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。たとえば、こう考えている人がいたとします。おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間の中のケチな一人で、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことに自分がまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間の中で、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世の中でたいせつな存在なんだ。こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!(『モモ』より)
つまり『モモ』の主人公モモは、ただ「上手に聞く」だけではなく、「本当に心から聞く」力を持っています。その聴く力は、単に相槌を打ったり、適切な返事をするというものではありません。モモが話を聞くと、相手は自分でも気づかなかった本音に気づいたり、問題が自然と解決したりするというもの。
モモの「聴く力」は、相手の話を表面的に受け取るのではなく、相手の気持ちや言葉の奥にあるものを感じ取ることができる力です。それは現実世界でも大切な力であり、多くの人にとって理想的な「聞き手」の姿とも言えるでしょう。
モモの「聴く力」は、相手の話を表面的に受け取るのではなく、相手の気持ちや言葉の奥にあるものを感じ取ることができる力です。それは現実世界でも大切な力であり、多くの人にとって理想的な「聞き手」の姿とも言えるでしょう。
人が話を聞いてもらうことは、単純に言ったとか言わなかったとか以上の意味を持つはずです。それはしゃべっているうちに、自己理解が深まっていくというポジティブな効果があるほかに、心の負担を軽減し、ときには人間関係をより良いものにするものです。モモは、まさに「聴くこと」によってもたらされる効果を象徴するキャラクターといえるでしょう。彼女の聴く力によって、人々は自らの問題に気づき、解決の糸口を見出していくのですから。このことからも分かるように、話を聞いてもらうことには多くの利点があるようです。もしかしたらAIスピーカーに話を聞いてもらうのもいいかもしれません。私はやったことがありませんが・・・。
一方、現実世界ではモモとは逆のことが起こっています(だからエンデは『モモ』を書いたんでしょうね)。そのため、モモのように相手の話をしっかり聞くことの大切さを実感し、意識的に人の話に耳を傾けることの重要性はますます増してきているといえるでしょう。話を聞くことは単なる受け身の行為ではなく、相手に安心感を与え、人生を豊かにする積極的な営みなのですから。
ところで新約聖書に描写されるイエス・キリストの姿もまた「聞く」という行為をしていることがよくあります。彼が会いに行こうとするのはアイドル・・・、ではなく社会的に嫌悪される徴税人だったり被差別者だったりと、弱い立場にある人たちでした。そういう人のところへ出かけていって、彼らの気持ちに寄り添おうとしていたのでした。自分の主義主張を布教するだけでなく、「モモ」的なところもあったようですね・・・。さすが、後年世界宗教になるだけのことはあります。
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