フランス音楽というとドイツ音楽ほど形式がはっきりしておらず、モヤモヤしてとらえどころがないという印象を持ってしまいがちです。かく言う私もその一人。聴いているうちについ別のことを考えて数分経過。いかんいかん、今どこだ!? となってしまいます。だめな奴・・・。
ショーソンの「詩曲」はベルギー出身の偉大なヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイのために作曲されました。作曲にあたりインスピレーションの源となったのはツルゲーネフの小説「愛と勝利の歌」だとされています。いったいどんな小説なのか? 調べてみたところ2016年に日本語版が電子書籍として出版されていました。
16世紀のイタリア、フェラーラにファビオとムツィオという同い年の青年がいた。共に古い家系の出で裕福な独身者の彼らは、フェラーラ中の人々から誇りに思われていた。だが、2人が街で最高の美女の一人であるヴァレリアに同時に恋したことをきっかけに、彼らは数奇な運命に巻き込まれることになる・・・・・・。
エフゲニ―・バウエルによって帝政ロシア時代の1915年に映画化された他、エルネスト・ショーソン等の作曲家にも影響を与えたイワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフ(1818~1883)晩年の幻想的な短編の一つである表題作と、同時期に書かれた散文詩「紺碧の王国」を収める。
「2人が街で最高の美女の一人であるヴァレリアに同時に恋した」ってそんなことあるのか? 世界貿易センタービルに2機のジャンボジェットが突っ込むなんて偶然じゃないですね。明らかにテロ。だから同時に恋したってのもどう見てもやらせだろ。まあいいでしょう。作者が「同時に恋した」って書いてるんならそういうことにしておきましょう。
上記解説の書籍名は「勝ち誇る愛の歌」となっているので、昔から伝わっている「愛と勝利の歌」は文法的には間違いなのかもしれません。なにせ「勝ち誇る愛」は形容詞+名詞。「愛と勝利」は名詞+名詞ですから。私はこの作品を読んでいませんが、面倒な男女関係が展開されていそうです。
ともあれ「詩曲」は、ヴァイオリンとオーケストラ(またはピアノ伴奏)のために書かれており、特にヴァイオリンの旋律が非常に魅力的です。甘美でありながらも哀愁を帯びたメロディーが、聴く者の心を深く揺さぶります。ショーソンはメロディーメーカーとしての才能を発揮しており、彼のロマン派的な感情表現が際立っていますね。レント・エ・ミステリオーソつまり神秘的に始まるということになっており、なんとなくドビュッシーとかラヴェルを予感させるような響きです。
「詩曲」は、一つの楽章で完結する形式を持ちながらも、物語を語るように展開します。ヴァイオリンがまるで登場人物の声を代弁するかのように、繊細なニュアンスと豊かな表現力を駆使して聴く者を幻想的な世界へと誘います。
特に、クライマックスに向かう部分では、オーケストラとの対話が一層深まり、まるで感情の波が押し寄せては引いていくようなダイナミズムがあります。それでも、曲が終わりに向かうと、再び静けさを取り戻し、聴き手を穏やかな夢の中へ送り出すようにフェードアウトしていきます。なんでしょうか、これ。フランスの『トリスタンとイゾルデ』でしょうか。
特に、クライマックスに向かう部分では、オーケストラとの対話が一層深まり、まるで感情の波が押し寄せては引いていくようなダイナミズムがあります。それでも、曲が終わりに向かうと、再び静けさを取り戻し、聴き手を穏やかな夢の中へ送り出すようにフェードアウトしていきます。なんでしょうか、これ。フランスの『トリスタンとイゾルデ』でしょうか。
この「詩曲」は、テクニックだけでなく、演奏者の内面の表現力が試される作品でもあります。演奏者によって印象が変わるため、名ヴァイオリニストたちが録音を残し続けているのも頷けます。同じ曲を聴いても、演奏ごとに違う物語が浮かび上がるのです。それってもしかしてヴァイオリニストたちのかつての不倫、いや要らんことは書かなくていいですね。
ショーソンが「詩曲」で表現したかったのは、一応小説を題材にしたということにはなっていますけれども、本当は明確な物語ではなく、むしろ夢や感情の断片、言葉にできないニュアンスかもしれません。だからこそ、聴くたびに新たな発見があり、何度でも耳を傾けたくなる魅力を持っているのでしょうね。
ショーソンが「詩曲」で表現したかったのは、一応小説を題材にしたということにはなっていますけれども、本当は明確な物語ではなく、むしろ夢や感情の断片、言葉にできないニュアンスかもしれません。だからこそ、聴くたびに新たな発見があり、何度でも耳を傾けたくなる魅力を持っているのでしょうね。
こう考えると、たまに10代の若いヴァイオリニストがこの作品を録音していますが、案外無謀なことをそうとは知らずにやらかしているのかもしれません。若いって恥ずかしい。
コメント