自分のヴァイオリンの先生はAさんで、Aさんの師匠はBさんで、Bさんの師匠はCさんで、Cさんの師匠は・・・、というふうに歴史を遡っていくと、いつかは「立派な先生」に行き当たります。

たとえば千住真理子さんの師匠は江藤俊哉で、江藤俊哉の師匠はエフレム・ジンバリストで、ジンバリストの師匠はレオポルド・アウアーで、アウアーの師匠はヨーゼフ・ヨアヒムで、ヨアヒムの師匠はフェルディナント・ダヴィッドで、彼はメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』の初演者でもありました。ダヴィッドの師匠はルイ・シュポーア。シュポーアの師匠は・・・。

このようにざっと調べただけでも1784年生まれのシュポーアまで、現在から250年くらい過去に遡ることができました。

そうやってどんどん過去に辿っていくと、すべてのヴァイオリンの師匠はアルカンジェロ・コレルリ(1653-1713)にたどり着くとされています。彼の演奏は「滑らかで優雅」と評され、音楽的な表現力と技術の両面で高く評価されていました。彼はローマの裕福な貴族や教会の庇護を受け、特に枢機卿ピエトロ・オットボーニの宮廷で活動していました。主な業績としてはヴァイオリン演奏の基礎技術(ボウイング、フィンガリングなど)を体系化し、弟子たちに伝えたことだと言われています。また、コレルリはヴィヴァルディ、ジェミニアーニ、ロカテッリなど、後の名ヴァイオリニスト・作曲家を育て、彼らを通して彼の技法とスタイルはヨーロッパ中に広まりました。彼がいなければレオポルト・モーツァルトも『ヴァイオリン奏法』という書物を著すことはなかったでしょうし、きっと息子アマデウスももっと違った人生だったはずです。

コレルリに始まるヴァイオリン演奏の系譜は、まるで家系図のように師弟関係が繋がっており、そこには「伝統芸能」としての重みがあります。いちいちこの人は誰の弟子だからどうこう、と言うつもりはありませんが・・・。

一方で日本の伝統芸能である歌舞伎や能楽も、師匠から弟子、親から子へと技術が受け継がれることで、何百年もの間、その文化を守り続けています。ヴァイオリン演奏もまた、楽譜や教則本だけでは伝えきれない「音のニュアンス」や「演奏の呼吸」といった、言葉にしにくい要素を、師弟関係の中で肌感覚として受け継いでいるのでしょう。なにしろ私みたいな奴ですら、「ベートーヴェンの楽譜でpが出てきたときはこうだ」と事細かに指導されるくらいですから・・・。

実際、名ヴァイオリニストたちの自伝やインタビューを読むと、「師匠がどうやって弓を動かしていたか、横で見て学んだ」といったエピソードが数多く出てきます。コレルリが弟子たちに直接指導した技術や表現力が、時を経て、現代の演奏にも息づいているのかと思うと、なんとも神秘的です。

そして、その「伝統」を学ぶ一人として、私もまた「歴史の一部」なのだと感じます。たとえプロの演奏家を目指していなくても、ヴァイオリンを弾くという行為そのものが、古の音楽家たちと繋がる体験なのです。これからも、自分が学んだことを次の世代に伝えられるよう、丁寧に音を紡いでいきたいと思います。できるかどうかは別ですが。