戦後を代表するクラシック音楽評論家のひとりと言ってもよい、宇野功芳さん。その歯切れのよい評論と、「この曲の名盤といえばブルーノ・ワルターに指を屈する」のようなわかりやすさは読んでいて小気味よいものでした。2016年に亡くなるまで『レコード芸術』誌への評論の寄稿のほか、単行本の執筆や講演会など、そして合唱指揮者やオーケストラの指揮者として広く活躍しました。

彼が得意としていたのはオーケストラ作品の論評であり、フルトヴェングラーやワルター、アーベントロートにベーム、ムラヴィンスキーといった19世紀生まれの指揮者を高く評価する一方で関西を地盤に地道にベートーヴェンやブルックナーを演奏していた朝比奈隆を一躍有名にしたり、埋もれていた指揮者であったシューリヒトやクナッパーツブッシュに光をあて、正当な評価を行った業績は否定できません。

しかしその宇野功芳さんがなぜか千住真理子さんのCDのライナーノーツを執筆していました。
千住真理子さんといえば12歳でプロデビューしたヴァイオリニスト。鷲見三郎の薫陶を受け、その後江藤俊哉に師事。天才少女とも呼ばれ、精力的な活動を続けています。2002年にはストラディヴァリウス「デュランティ」を購入したことでも一躍有名になりました。

その千住真理子さんと宇野功芳さんのコラボなんて、ちょっと想像し難いですが、ライナーノーツ執筆が宇野功芳さんだったのは事実です。

1991年に録音されたドヴォルザークとブルッフのヴァイオリン協奏曲。そのライナーノーツは以下のようなもの。

千住真理子のヴァイオリンが一皮も二皮もむけてきた、と感じたのは1990年1月にr久遠されたラロとサン=サーンスのCDにおいてであった。それまでは楽器の鳴りの悪さが目立ち、とかく音楽がひよわなものになりがちだった彼女だが、ここでは音に艷やかな色気を増し、ムード満点のエンターテイナーぶりを発揮したのである。千住のいちばんの武器を僕は「耽美的なヴァイオリン」といういちごに集約させて考えたのだが、それから1年後にレコーディングされたモーツァルトのコンチェルトも同じ好調さを持続し、彼女がいよいよ本物になったことを強く示したのである。華のある、愉悦的なモーツァルトがすてきだった。

(中略。以下、ブルッフの演奏に触れて)

第1楽章の序奏が終わり、第1主題が始まると、そのゆっくりと落ち着いたテンポ、粘りのある踏みしめたリズムが心を打つ。いかにも満を持した展開である。このリズム感は第1楽章の全体を一貫し、雄弁な語りかけを見せる一方、むせるような歌やこぼれる魅惑がそれに加わり、彼女のファンを堪能させてくれるのだ。

第2楽章の豊かなカンタービレもすばらしい。わけても真中の部分の切ないほどの艦上のほとばしりは千住の資質を全開させたものといえよう。

(以下略)

私はこのCDを中古店で見つけたのですが、まさかライナーノーツが宇野功芳さんによるものだとは想像もしませんでした・・・。

1991年というと、バブル経済こそ崩壊したものの、まだまだ日本経済が絶頂期にあったころ。海外のオーケストラを使って若手ヴァイオリニストが協奏曲を録音するなんて、今ではちょっと考えられません。わずか30年で日本の立ち位置がこんなに凋落するなんて、一体誰が予想したでしょうかね・・・。