私は今の仕事が好きではありません。いや、この言い方は正確ではありませんね。もうちょっと精度を上げて言い直します。私は今の仕事が嫌いです。苦痛です。時間の切り売りでしかありません。これが自分の家のファミリービジネスで、私自身がこの事業の第◯代当主だということなら従業員の人生を背負っているわけですからそりゃ必死にもなるでしょう。でも私はただのサラリーマン。ある時気づきました。サラリーマンは社長の商品を売って社長の貯金を手伝うのが役割だと。途端に働くのがアホらしくなりました。さらにまたしばらくして気づきました。会社の栄枯盛衰は自分の幸不幸とは一切リンクしていないと。さらにもうしばらくしてまた気づきました。トヨタのような大企業で働く人が皆幸せなわけではないと。当たり前の話ですが。

そういうことをつらつらと考えながら月日は流れ、「ああまたくだらない一日が始まるのか」と思いながら出勤する日々。そんなある日、すずひら氏が書いた『会社を辞めて生き方を変えることにした』という本にめぐり逢いました。この本には、私が思っていることがそのまま書かれており、なんだかもう一人の自分に遭遇したような気がしました。
「なんで俺、給料に見合わない責任とストレスを背負いながら、週5日間も朝から番まで必死に他人の事業に人生の時間を捧げてたんだっけ?」

「表面的な自由と表面的なやりがいに目が眩んで約4年間も忘れていたけど、改めて考えたら、月160時間以上もの時間を他人の事業に捧げなければいけないことに変わりはない」

「所詮は他人の事業への労働力提供」

「僕にとってはもう、お金を稼ぐために週5日間も朝から晩まで他人の管理下に置かれて、他人の事業への労働力提供する状態自体が嫌なのだ」
スゲー!! 「他人の事業」という突き放した言葉が本書の後半になると繰り返し繰り返し現れます。ということはそれだけサラリーマンつまり社長の商品を売って社長の貯金を手伝うことにアホらしさを感じていたのでしょう。

すずひらさんは3つの会社で働いた経験をお持ちですが、3社目の後半になると
組織の和を軽視して、非合理的だと自分勝手に判断したルールは限界まで無視してきた。「組織の一員」ではなく「契約に沿って組織に労働力を提供する人」ぐらいな感覚でやってきた。任意参加な社内の懇親会はほぼ全て欠席し、強制参加の会もバレバレの仮病を使って参加してこなかった。
うむ。これは今の私と同じです。サラリーマンとして働くのはあくまでも生活の安定のためであって、それ以上でもそれ以下でもありません。同僚と食事に行きたいとはまったく思いません。同僚を別の言葉で定義してみよと言われたら「その時たまたま同じ場所にいた人」です。

そしてすずひらさんのお母様があるとき癌であることがわかり、まもなく逝去されました。このことが最後のきっかけとなり、2021年12月末日をもって会社を退職し、サラリーマンという立場を卒業することになりました。実に羨ましい。そしてその理由が、自分はどのように生きたいのかということを真剣に考えたからでした。お母様がステージ4の癌であることがわかり、本来ならばもっと家族とともに過ごす時間を増やすべきところ、会社の仕事に振り回され、不本意にも貴重な時間を他人の事業に使う羽目になってしまったこと、これは痛いほどよくわかります。

私自身もサラリーマンで、自分の仕事にやりがいを感じている人のことを「業務真理教」と呼んでいますが、そのような考え方のもと『会社を辞めて生き方を変えることにした』を読んでみると、なんと自分の生き方を真摯に模索する、真実の言葉に満ちあふれていることでしょう。私もこんな本をいずれ書きたい・・・、そう思わずにはいられませんでした。

上記のうち、引用箇所は『会社を辞めて生き方を変えることにした』からです。